5 議論とまとめ
熱フラックスのそれぞれの値が、1950年以降の平均値と比べて小さくなる原因が風速の違いにあったことが明らかになったが、二つの期間での風速の違いが現実に起こったことであるかどうかについては検討の余地がある。
その理由は、風速差がきわめて大きいことである。このような風速変化が起こったとすると、風速以外の気象要素にも大きな変化が現れるはずであるが、花輪等のグループの海面気圧場を用いての研究によれば、船舶観測による海面気圧から推算した北太平洋の地衡風速に顕著な増加傾向は認められていない(Hanawa and Yasuda, 1999)。
戦前は海面状態を見て風力階級を決めて通報していたのが、戦後、風速計の観測による風速の通報へと観測手法が変化していること(例:Woodruff et al., 1984)、特に戦後に船舶の大型化が進み、大気境界層の上部の風速を観測するようになってきたこと(例:Ramage, 1987; 轡田、1993)、などの観測に関わる問題を考えると、図8〜10に示した風速変化は、人工的なものである可能性が高い。
この事実は、今後神戸コレクションやCOADSのような船舶による気象観測データを利用する際に、風速の取り扱いに特に慎重にならなければならないことを意味する。特に数十年以上の時間規模の現象を調べる際には、何らかの方法で補正を行うか、花輪等が取った方法のように気圧場などから風速を推定するなどの代替手段が必要となる。
1860年〜1949年の平均と1950年〜1990年平均の風速の違いがほぼそのまま熱フラックスの値の違いに反映されていたことは、仮に風速についての問題がなければ、戦前の熱フラックスの計算結果について、少なくとも年平均気候値については議論の対象とすることが可能であることが分かった。但し、月平均については、分布の空間構造にやや乱れがあり、データ数密度がまだ不十分であることを示唆している。
今後、ディジタル化されていない神戸コレクションデータが利用可能となればこのような問題も改善されることが期待できる。特に、データ数が増加する1890年代以降については、北太平洋の主要航路帯に沿う海域では季節平均ないし年平均で年々変動まで議論できるようになる可能性がある。