「中国を以て遠人を益するは大害なり。遠人を以て中国を効くは大利なり」、「地球の東西南朔の九万里の遥かを合わせて、我が中国の中に胥聚するは古今の創事、天地の変局にして不世出の機なり。・・・西人の害を為すを虞れて、遽に深閉固拒の計をなすは、これ噎ぶを見て食を廃するなり。故によく治をなすものは、西人の日に横なるを患わず、ただ中国の自域を患う。・・・害を去り利に就く、一切は皆我の自から為すにあり。」*1その鍵は「その道を得てこれを順用す」というところにある*2。このため、堅固な船の性能の良い大砲は敵の長技(得意技)であるが、我が長技にしなければならない。これは極めて簡単な道理であるけれども、当時このような観念を確立することは、とても容易なことではなかった。
中国の近代に於いて、林則徐は、西洋の得意技を学びこれを実践しようと主張した進んだ中国人の最も早い一人であった。中国の軍船と英国の戦艦を比較して多くの違いに気が付いた。(1)中国船の大きさは英国船に及ばない。中国の軍船の最も大きいものでも英国船の半分に及ばない。(2)中国船の堅固さは英国船に及ばない。中国の軍船は杉の木材で製造するが、英国船は西洋の長い木材を用いて、大きな銅の釘で組み立て、内と外を厚板ではさみ、縁と底を銅片で覆っており、完く比較にならない。(3)中国船の大砲は英国船の多さと鋭利さに及ばない。故に中国の軍船の製造価格は英国船の二〇〜三〇分の一に過ぎないが、これからみても総力から言って違いが大きいのは理解できる。林則徐はこの違いを認め、「洋画の水戦は英夷の長技」と認め、外界で作戦をすることは「おのずから単薄の船が追剿するあたうところにあらず、まさに別に堅厚なる戦船を製し、もって勝を制するに資する」*3