しかし、実際の利用は、サティヘの利用バスとなってしまっている。駅と中心街の中間に小さな商店街があり、その中に古いスーパーがある。消防法の関係で閉店することになったが、周辺住民が買い物ができなくなると反対したので特別に営業していたが、ショッピングバスができサティへの足が確保されたら、そのスーパーは利用しなくなってしまった。
しかし、この事業も数年前に提案されたときには、商店街は乗り気でなかった。そういう意味では、商店街側も何かしなければという意識が出てきたと商工会議所ではみている。
商店主らは「駐車場がないから客がこない」というが、調査するとたくさんあるということが多い。ただ、利用者にわかりづらいということで案内板を出したり、駐車場のパンフレットを市内、近郊の全世帯に配って周知につとめた。
市内には、成功しているところもある。殿町と道続きの京店商店街は道路を石畳にし町並みを整備した。郊外へ移転したパチンコ屋を商店街(青年部が主導)で買い取りライブハウスにして若者たちを呼び込んでいる。空き店舗もなく後継者も帰ってきている。この違いは体力=財源である。京店は商店街で駐車場を経営しており、年間2,000万円の純収入がある。これを元手(出資)にしていろいろな事業に取り組んでいる。その点殿町は住居は他に移し、店舗に通ってくる人が多く、後継者もなく、自分たちで共同店舗などを建て直すことは難しい状況にある。
サティは駅南側に位置し、いわゆる郊外型とは言い難い。そこで、なぜ中心市街地を整備しなければならないのか、単に大型店に吸収されようとしている商店を救うものなのではないか、という疑問が出ている。それに対し、市では「松江市は島根県の中心として商業、文化、情報などある程度の都会的なものが求められる。県都としての顔の機能を持たなければならない」とし、商工会議所なども「商業集積という点ではサティでもよいのかもしれないが、大型店はすべて自己完結型の囲い込みであって、集客はあっても広がりの空間がない」とする。つまり、まちの顔としての整備である。まちの顔は動いてもよいが、全国どこででも同じ顔を持つ郊外型の大型店は顔にはなり得ない。これは中心市街地の活性化を支持する住民の意識の中にもある。中心市街地の活性化はとくに女性の支持が高い。若い人はサティにはないブランドや個性ある商品(商店)を期待し、50歳以上の人は昔栄えた商店街の窮状をみるにみかねて何とかしてほしいという思いが強い。ただ、中心市街地の活性化は単に商店街、個店の活性化(金儲け)のために行うものではない。活性化に向けての活動に商店主らが傍観するだけでは中心街の再生はあり得ない。活性化への取組として、行政ではハード的な部分、商工会議所でソフト的な部分の整備を行っている。あとは商店主に「さあ、やれ」と外堀を埋めているようにも取られている。そのようにみえてしまうのも商店主の姿、意識がみえていないことの表れであろう。
津市
津市は人口16万3,000人で、三重県の県庁所在地である。昔は津市は県域一帯の中心として、その商圏は県の南西部全域ばかりでなく、上野市方面や亀山地域にまで広がりを持ち、そして、ギフト用品という点では滋賀県の一部も商圏に取り込んでいた。
しかし、近年は広域交通体系が整備されたこともあって、周辺地域の買い物客がより広域の移動を行い(例えば、滋賀県からのギフト客は大津・京都へと出、県南西部や上野は大阪へ、亀山は四日市・名古屋へ出ている)、津市の商圏はやせ細ってきている。
津市は国道23号を主軸として発展してきた街であるが、市街地をではずれた地域で常時渋滞が起こっていた。これに対して、津市では、都市の中心部の居住環境を改善するために、過去に中心市街地に所在していた、市役所、三重大学教育学部、三重大学付属病院、競艇場、県文化会館、などを周辺地域や市街地外縁部に移転・分散立地させ、また、卸売団地、ネオポリス住宅団地、工業団地などを郊外地に配置している。そして、市役所跡地に市が整備したセンターパレスにはダイエーが入居した。このような競争環境の変化に対応して、既存の都心型大規模店である松菱百貨店やジャスコが地元商連と共同する形で活性化を図ってきた。その後、ダイエーは撤退し、その後は空き店舗となっている(駐車場のないことが致命傷となっている)。