東欧のいくつかの民族は、中世や近世において、強大な王国を築き上げた。しかし、それらの王国は、いずれも近代まで命脈を保つことはできなかった。近代に入るまでに、東欧の殆どの地域は、大国の支配を受けるに至ったのである。それらの大国とは、オスマン・トルコやハプスブルク帝国であり、そして帝政ロシアやドイツの2つの帝国である。しかしながら、他方で、これらの大国の内の一国が、東欧地域全てを同時期に支配することはなかった。こうした大国は、東欧の地域を部分的かつ一時的に順次、支配し或いはそれに強い影響を与えたのである。従って、歴史的な周辺地域であった東欧は、かつての複数の大国支配の「遺産」が、重層・錯綜して存在してきたのである。こうした東欧において、民族形成の過程は、直線的な西欧の民族とは異なり、複雑な過程を歩まざるを得なかった。
それに加えて、近代になって民族意識を覚醒あるいは復活させた東欧の各民族の中で、広大な王国を有した経験を持つ民族は、民族意識の中心的要素に領域的次元の要求を据え、かつての最大版図の復活に関する歴史的権利を、民族形成や復興のスローガンとしたのである。
(月村 太郎/神戸大学法学部教授)
(注)
(1) 1977年に採択されたソ連憲法では、構成共和国に連邦からの離脱権が付与されているが(第72条)、国境の決定が連邦の管轄事項となっているために(第73条の2項)、構成共和国の離脱は事実上、不可能であった。
(2) 連邦制と多極共存、文化的自治とは、必ずしも相互に排他的ではない。むしろ、両者を組み合わせることによって、多民族性の維持がより的確に図られる場合もあろう。
(3) 例えば、本稿で紹介しているレイプハルトが、政治的技術の側面を重視しているの対して、同じく代表的な論者であるダールダーは、多極共存を生み出す政治文化や歴史的伝統を強調している。
(4) レイプハルトは、後に権力共有power-sharingへとモデルの名称を変更しているが、多極共存との内容的相違は殆どない。
(参考文献)
岩崎美紀子『カナダ現代政治』(東京大学出版会、1991)
柴宜弘・中井和夫・林忠行『連邦解体の比較研究』(多賀出版、1998)
月村太郎「多民族国家における統合と解体」『年報政治学94』、79-100頁
寺澤一・山本章二・広部和也編『標準国際法』(青林書院、1989)
A.ガットマン編『マルチカルチュラリズム』(岩波書店、1996)
A.D.スミス『ナショナリズムの生命力』(晶文社、1998)
W.キムリッカ『多文化時代の市民権』(晃洋書房、1998)
A.レイプハルト『多元社会のデモクラシー』(三一書房、1979)