その際に、最も危険なケースは、当該国家の外に、国内の民族の「母国」ともいえる国家が存在する場合である。これについては、本稿の域を外れるが、こうした民族問題の「国際化」は、新たな資源の注入による対立の長期化、そして当事者の増加による対立の複雑化を招き、民族問題がより悲惨な結果を生む傾向が高いという点だけを指摘しておきたい。
(2) 解決への手掛かり:多様性維持に関するバランスシートの改善
以上の問題点からは、多民族的自治を実施している国家は、経済的困難に陥るならば、混乱・解体、少なくとも多民族的合意の廃棄という運命から逃れることが絶対的に不可能であるという悲観的な結論が下されるかもしれない。まさに、ユーゴスラヴィアは、そうした運命を最も深刻な形で歩んだともいえよう。
そうした立場にある多民族国家が、運命を逆転させるにはどうしたら良いであろうか。全般的な確答を行うことは難しい。ここでは、各地域・民族の民衆が、多文化主義的体制の存続が、そうではない選択肢よりも、有利であるとするような意識を作り出すための道筋について簡述するにするにとどめて、本稿を終わりとしたい。
ア 外部アクターの関与
多民族国家の多文化主義的体制が動揺し、当該国家自身が、その再建の能力を失ったならば、外部アクターに頼らざるを得ないであろう。そうした場合、外部アクターが取り得る手段は、「アメ」と「ムチ」に2分することができる。「アメ」的手段とは、経済的困窮化が体制動揺の根底にあると考え、経済的支援を行うことによって、国家が再分配できる資源を増加させ、民族間関係を暫定的に安定させることで、体制再建の時間を稼ぐというものである。多文化主義的体制維持のプラス面を強調する手段である。また「ムチ」的手段とは、当事者が対立を継続するならば、経済禁輸や軍事介入など、外部から当事者に対して制裁するという意図を明らかにして、対立を停止に導くものである。多文化主義体制崩壊のマイナス面を強調する手段である。
この両者のどちらが有効に機能するかは、ケース・バイ・ケースであろうが、どちらの手段であろうとも、多文化主義的体制の動揺が表面化したならば、できる限り早期に実施することが必要である。