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第4章 ヨーロッパ地方自治憲章とロシアの地方自治法

―地方行財政の自主権をめぐって―

 

1 はじめに―本稿の課題とロシアの地方自治の現状について

 

(1)

 

近代ヨーロッパの立憲主義の伝統への合流、あるいは「人権、民主主義、市場」を基礎とする自由主義的世界との提携をめざすロシアは、1996年にヨーロッパ評議会に加盟し、同年2月28日にはヨーロッパ地方自治憲章について署名した。ヨーロッパ人権条約への加盟と併せて、このヨーロッパ地方自治憲章への参加は、EUとの関係強化をめざすロシアにとっては、ひとつの大きな画期をなす出来事ではあった。

ヨーロッパ地方自治憲章(以下、単に地方自治憲章とも表記)への署名の議会による批准は、1998年3月20日(上院は4月1日に同意)にまでずれ込み、4月11日付の大統領の署名によりようやく発効する運びになった(1)。この間の事情について、いまその詳細を語る用意はないが、ロシア国内における地方自治法制や93年憲法にうたわれた地方自治制度の確立過程が混乱を伴って進行していたこととおそらく無関係ではないであろう。そして、この批准は、国内での地方自治確立のテンポを速めることを要請し、地方の自主性を志向する勢力からの抵抗をも生起せしめるという、西欧志向勢力にとってはプラス、マイナス両側面からの刺激要因ともなったのである。

体制移行期におけるロシアの地方自治法制は、1991年の地方自治法の制定とそのモラトリアム、1993年の憲法の制定、1995年の地方自治法(「地方自治の組織の一般原則に関する法律」)(2)へと推移するのであるが、この一連の過程とヨーロッパ地方自治憲章の署名・批准の過程は、時期的にオーバーラップしており、ロシア国内での立法過程において、地方自治憲章が参照され、指針とされたであろうことが当然に予想される。そのことは、立法過程での議論やエリツィン大統領の地方自治に関連しての発言のなかで、時にこの地方自治憲章への言及が見られるところからも推察しうるところである。

とはいえ、この週程はそれほど順調に進んでいるわけではない。地方自治に対する消極的対応やその範囲をできるかぎり狭めようとする傾向は、ソビエト制の伝統の名残りやそれに依拠せざるをえない地方政治の担い手たちによって、根づよく維持されているからである。地方自治憲章は、ロシアがそれに署名したところから、それを大義名文とした中央権力の地方政策と自主独立を志向する構成主体の指導層との対抗の構図のなかにもその位置を見いだすことになったといえよう。

 

 

 

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