2.アメリカの航空産業の事例
1)規制緩和以前の状況
航空機による旅客輸送が増加したことから、1938年に安全性と事業者の経済的健全性を管理するために連邦航空法が制定され「民間航空委員会・CAB」が設立された。CABは、航空事業免許及び路線権の付与をはじめ安全に関する事項以外の民間航空のすべての分野を規制する権限を有していた(安全性に関する事項は連邦航空管理局・FAAが担当した)。
CABの主な権限は、以下の3点である。
1.参入認可の権限=CABは廃止されるまでの40年間に中小会社は別として、大手業者の新規参入、新路線の開設を阻み続けた。
2.運賃認可の権限=航空運賃の設定や改定はCABがすべて決定していた。
3.独占を抑制する権限=航空会社間での利益保全的な取りきめ等を抑える権限を有していたが、大手業者間の運賃協定等を阻止しなかった。
例えば、事業者はストに備えて収入の一定額をプールする協定を結び、ストで収入減になった会社に対し、プールから補償する仕組みを作った。CABはこれを認可し、独禁法から免責とした。これは、業界全体の利益のための連合を認めたことになる。
規制緩和前のアメリカの航空業界はビッグ4(アメリカン、ユナイテッド、イースタン、TWA)の寡占により、CABを含めたクラブのような様相を示しており、事業者の数は36社と少なかった。
2)規制緩和要求の高まりと「航空会社規制緩和法」の制定
CABの規制政策があまりにも業者寄りになっていたため、消費者運動のリーダーであるラルフ・ネーダー等から規制緩和が主張されるようになった。
新規参入の申請をほとんど認可しないCABのやり方に対し政府部内からも批判が高まり、エドワード・ケネディは委員会で次々と関係者に証言させ、規制緩和の必要性を立証していった。そして、自ら「航空会社規制緩和法案」を議会へ提出した。
そして、1978年10月「航空会社規制緩和法案」は議会を通過した。