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PROGRAM NOTES

「リエンツィ」を楽しむために

 

山崎太郎

 

あらすじ

 

はじめに

1313年、平民の子としてこの世に生を享けたリエンツィ(正しくはコーラ・ディ・リエンツォ)は、若い頃、弟を貴族に殺され、支配階級への反感と現行の政治体制への疑問をつのらせてゆく。古代ローマの共和制におのが理想を見出した彼は、法律や歴史に関する深い造詣と巧みな弁舌によって民衆の心を掴み、ついに1347年5月、横暴な貴族を市外に締め出して、無血革命に成功、ローマに新たな共和制を打ち建てた。しかし、ドイツ諸侯の反感を身に招いたうえ、過激さを増す民衆と教皇庁の思惑の板挟みになって失脚。数年後の1354年に、ローマに戻り、再び権力を掌握するものの、最後は民衆や貴族の恨みを買い、暗殺される…

ワーグナーは歴史上の人物の政権掌握から死にいたる数年間を短期間の出来事に圧縮し、栄光と没落の道程を5幕の歌劇のうちに浮き彫りにした。

 

第1幕

夜中、ローマの街頭で、おりしも起こった貴族たちの蛮行。オルシーニとその一派がリエンツィの妹イレーネの誘拐を計画、それを邪魔しようとする敵方のコロンナー統とのあいだに小競り合いが生じたのである。騒擾が最高潮に達したところでリエンツィが登場。教会への畏敬もなく町を荒らしまわる貴族たちに非難の言葉を浴びせ、ローマの失われた栄光を嘆いてみせる。オルシーニとコロンナは腸が煮え繰り返るものの、民衆の前ではリエンツィに手出しもできず、引き上げてゆく。貴族たちの横暴を憂える枢機卿オルヴィエートがリエンツィに実力の行使を依頼、民衆もそれに声を合わせると、リエンツィは明朝の一斉蜂起を高らかに宣言。人々も翌朝を期して家路に着く。

その場に居残ったのはリエンツィとイレーネ、そしてコロンナの息子アドリアーノ。イレーネに思いを寄せる彼は先ほども命懸けで彼女の身を庇ったのである。恋心と肉親愛の相克に心は揺れるものの、ローマの秩序という大義をかかげるリエンツィの説得にあって彼は民衆の側に加担することを誓う。勝利を確信したリエンツィが退場すると、残った二人は互いへの愛を確認する。やがて、群衆が舞台を埋め尽くす。喧嘩の決着をつけるために市外へ出た貴族たちに城門を閉ざし、呆気なく勝利は民衆側に転がり込んだ。歓呼の嵐に迎えられてリエンツィが登場、ローマに自曲を宣言。自由の理想に燃える彼は、古例にのっとり護民官として、民衆を導きたいと言う。リエンツィを讃える大合唱のうちに幕。

 

第2幕

リエンツィは着々と新体制樹立のための手を打った。諸国に使者を派遣して、ローマの自由と各国との友好関係を確認、おりから今日は古代ローマの政治の中心となったカピトール神殿の広間で、各国からの使者を接見、平和の宴が催されることになっている。新政府への恭順の意をあらわにした貴族たちも、晴れの場への同席を許された。しかしながら、彼らはリエンツィの好意を逆手にとって、復讐を謀っている。祝宴の進行するうちに隙を見て、オルシーニがリエンツィの胸に匕首を刺し込む。しかしながら、万一の事態にそなえて鎖帷子を着込んでいたリエンツィの胸をその切っ先は貫き通すにいたらなかった。謀反の発覚とともに広間の貴族は近衛兵に取り囲まれ、謀反の頭目コロンナとオルシーニに対する裁判が始まる。リエンツィは一旦は法にのっとって二人に死刑を宣告するものの、アドリアーノの必死の執り成しにほだされて、その決定を翻してしまう。アドリアーノとイレーネはリエンツィの寛大な処置に感激、民衆も慈悲の有り難みを説くリエンツィの言葉に最終的に納得するが、一部の人々は度を越した温情がさらなる災いを招くのではないかと恐れ、リエンツィの施政者としての資質に疑念を感じはじめる。事実、その処置を屈辱としか感じない貴族たちはさらなる復讐を心のうちに誓っているのだ。

 

 

 

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