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藤沢市民オペラ25周年に寄せて

 

小山晃

 

近ごろでは1、2年おきに公演される<藤沢市民オペラ>が大変たのしみになっているものだから、今年の春先だったろうか藤沢市民会館の事業担当の方に、この秋はまたきっと大作ですね、と訊ねたことがあった。今年は藤沢市民オペラが創立25周年ですし、藤沢市民会館はオープン30周年になりますから、また大きな作品に挑みます。ワーグナーの「リエンツィ・最後の護民官」を日本初演します、と聞いて一瞬私は絶句した。というのも何秒かの間にさまざまな思いが去来したからなのだが、いよいよ藤沢市民オペラもワーグナー上演に手が届いたか、と思ったし、ここのオペラも既に25年のキャリアを重ねたのだ、といささかの感慨も抱いた。それに「リエンツィ」本邦初演にもちょっとはびっくりしたのである。そして次には感心もした。ここ十余年の間に日本でもこちらの歌い手やスタッフでワーグナーの作品がしばしば上演されるようにはなった。それは<タンホイザー>であったり、<ローエングリン>やリング4部作中の<ワルキューレ>であったりするのだが、今度のワーグナーものはそれらのオペラ、楽劇ではなく、作曲家初期の大作「リエンツィ」だったことに一目置いてしまったのである。
この作品の序曲なんかは多くの指揮者のレコード、CDなどで聞いてはいるものの、作品全容は私なんかもかなり以前にホルライザーという指揮者が振った、それも外国盤全曲で垣間知るくらいである。物の本などで、このオペラ全体の筋書きなぞは知れるにしても、さて実際のオペラ本舞台となると、さっぱり見当がつかない。なにしろ登場人物が多いし、それにもましてローマの市民たちを歌い演じる合唱の比重がかなり重そうである。それはレコードの演奏を耳にしても察しられるのだが、とすればなるほど合唱団が活躍する藤沢市民オペラの上演にはうってつけかもしれない、と思った。それにしても「リエンツィ」となればたいへんである。日本初演作品だからこの国ではまるで前例の手本がない。
近頃頻繁な外国のオペラ・プロダクション日本公演でもついぞ舞台にかけられたことがない。歌い手も合唱もスタッフも、藤沢市民交響楽団も苦労だ、と考えた。が、その直後には、藤沢市民オペラなら大丈夫、やってくれるさ、とも思った。ふりかえったら優れた前例があるではないか、なーに恐れるには当らない、と自分がする訳でもないのに、早々と安堵した。やはり日本初演を過去に手がけ、絶大な成果をあげたではないか。16年前の1983年、ロッシーニの<ウィリアム・テル>を日本初演し、すばらしく感銘深い舞台を造りおおせたではないか。あの最後の幕切れなぞ感動と興奮がないまぜになったものだった、と当時の想いがたちどころに蘇った。今度の「リエンツィ」もおそらく、見事なオペラ舞台が造形されるに違いない、と確信した。この作品、近年ではどうもヨーロッパでもあまり上演の機会はないらしい。とすれば、ひょっとして海外へも評判は届くのではないか。いや、絶対にあちらからも目を向けられる筈だ、といま思い始めているのである。

しかしそれにしても、自分もこれまでに藤沢市民オペラの公演には随分とかよったな、と思う。そのいっとう最初は、「夕鶴」上演時だった。が、正直いうとその時は藤沢市民オペラをほとんど意識していなかったようにもおもう。また、伊藤京子のうたうつうを観たい、との気持が優先していた。その頃は彼女が歌い演じるつう役の虜になり、東京周辺で伊藤主演の<夕鶴>が上演されると知れば、大方は見歩いていたのである。その時もそうだった。これが80年の1月で、すぐさま秋には<カルメン>が藤沢市民会館の舞台に載せられた。この<カルメン>を愉しんだとき、初めて、わが神奈川のどこよりもさきがけて藤沢市では市民オペラを推進させている、と認識したのだった。すごいことを推めている、横浜よりも川崎よりも音楽文化のうえでは先進性があるのではなかろうか藤沢市には、といたく感じた。そう思って視線を向けてみれば、オペラの合唱には市内のアマチュア合唱団のいわば連合体が半年一年をかけて熱心に取り組み、これもアマチュアの藤沢市民交響楽団が、やはり長い時間をかけてオペラの音楽をマスターしている。そして、その牽引役が当時すでにオペラ経験の深い、今は故人となられた指揮者福永陽一郎氏だった。1973年の藤沢市民オペラ発足当時から、手とり足とりで満身の情熱を傾注して指導され、市民の最高最大のエンターテイメントであるオペラを根付かせようと腐心されるのが推察できた。

 

 

 

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