日本財団 図書館


この様な背景と発展は、台北をして外地の人口を吸収するのに充分であった。1906年から1935年の30年間、日本統治の下において、毎年約3千人余りの社会増加があり、1930年を除いては、毎年の社会増加数は安定していた。

 

表11. 台北市と近郊の地域別人口社会増加率(‰)、1970〜1995年

055-1.gif

 

戦後、中国大陸から撤退した人口と台湾各地から流入した人口によって、台北市の人口は激増した。1947年と1948年の社会増加は、それぞれ4万人を越え、1949年には9万人余りに達し、1951年も4万人で、その後は1-2万人の程度を保った。1947年から1967年の21年間に合計48万人の社会増加があり、年平均2万3千人の割合であった。1968年市区拡張後、又大幅な社会増加を引き起し、1969年の7万人を最高に、1972年

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION