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万葉の海へ帰ろう7月20日


●はじめに


 長年「海の記念日」として海事関係者の間で親しまれてきた「七月二〇日」が国民の祝日「海の日」となり、今夏広島市など広島県内九地区 において開催される「海の祭典」が一三回目を数えるなど、人々の海への関心は高まる一方です。プレジャーボートが数の上で漁船を上回ったことなどはその具体例の一つと言えるでしよう。 さて、年間を通じ静穏で誰もが気軽に利用できる瀬戸内海は、海洋レジャー活動の最も盛んな海域ですが、潮流の変化.霧の発生など自然 現象の複雑さ、難所の多さは大昔と変わらないので、週末などの限られた時間に小艇を繰り海を楽しもうとする多くの海洋レジャー愛好者は、船に機 動力など若干の装備があること、海図や航行援助施設が整備されていることなどを除けば、一三〇〇年以上も前万葉の時代天気や潮をよみ、時 化を避けながら海を利用したであろう当時の人々と立場はあまり変わらないのではなかろうかとの発想で、万葉集から海、船を題材にした歌のいく つかを取り上げ海とのかかわり方についてヒントを得たいと考えました。

●ひとりひとりが気象予報士
 ※わたつみの豊旗雲に入り日さしこ よいの月夜清らけくこそ
                     =天智天皇=
〔海上になびく大きい旗のような雲があってそれに夕日がさしている。きっと今夜の月は名月だろう〕  任那の日本府が五六二年新羅に滅ぼされた後も、我が国は百済と組んで新羅を討とうとしていました。この歌は六六一年、船団を率いて西 に赴く途中、印南野(いなみの。今の高砂市から明石市にかけての付近)で詠まれたものです。当時の軍船に関する資料はありませんが、 同時代の遣唐使船について、「ジャンク型、全長二〇数メートル、幅七メートル前後、排水量二〇〇トン程度で約一四〇名を乗せ、無風のとき は多数の櫂で漕いだ」との推測説があることからも当時の航海の厳しさを想像することができます。長期の航海中最も注意したことは気象予 測だったのではないでしょうか。今でこそ信頼度の高い天気予報を得ることができますが、昔は経験に基づく観天望気が天気を予測する唯一 の手段でした。前掲の歌は「夕焼けは晴れ」が当時すでに天気俚諺(てんきりげん)として知られていたことを示しています。このような天 気俚諺のうち天気の崩れを予測するものとして、
●朝焼けは雨(前線の動きをとらえたもの)
●秋西風は雨落とし(低気圧の動きをとらえたもの)
●朝雷は川越すな(大気の不安定さをとらえたもの)
など各地にたくさん残されていますが、最近は天気予報の精度が高まったことから顧みられることが少なくなりました。確かにいまどきの天気予報はよく当ります。それは、
●大気の動きを理論的に把握できるようになつたこと
●気象観測及び通信の技術進歩により、詳しいデータを世界的規模で短時間に入手し利用できるようになったこと
●汎用大型コンピュータを使用して短時間に莫大な量のデータ解析と数値計算が可能になったことなどによるものです。ただし、天気予報の基礎 となるデータを収集する気象観測所間の距離は一五〇〜三〇〇キロメートルあるため局地的気象予報を完全に行うことは不可能で、また、天 気予報は観測時より三時間程度遅れて発表されますから、突風、にわか雨、雷雨などは私達自身が空の様子を観察し予測することが必要にな ります。しかし観天望気の知識がないと、とかく自分に都合のよい方に天気を判断しがちで、その結果避難のタイミングを誤ることにもなり かねません。よって普段からその土地の天気俚諺に関心を持ち、海に出るときは天気予報に耳を傾けながら、局地的気象情報の不足を自らの 観天望気で補うようにすることは安全確保上有効なことだと思います。
     


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