21世紀の文化は今まで我々がパイがどんどん大きくなるという進歩や成長の構造で考えていたのに対して、もう大きくしてはいけないと考えざるを得ません。進歩から定常化へということが、未来文化の基本になります。今まで世の中で貧しい人と貧しくない人がいると、経済成長によって両方とも金持ちになるようにすれば文句を言わないだろうと考えられました。実際には貧富の格差は拡大しても、貧乏人でも今までより豊かになれば文句を言うまいというので、貧富の差という配分の問題を解決するよりは経済成長というやり方の方がうまくいくというのが、自由主義経済でした。世界中の人々がアメリカ人と同じだけ石油を使ったり、世界中の人々が日本人と同じぐらい電気を使うということは、地球全体として不可能ですから、金持ちはもっと金持ちになる、貧乏人はちょっとだけ金持ちになる、全体として金持ちになるんだから文句を言うなというやり方は絶対に行き詰まるわけです。金持ちを縮めて貧乏人を膨らますという形で配分の公正を図らなければ、生きていけないんです。実はこれは19世紀にわかっていたんですが、そんな難しい配分はできっこない、だから貧乏人はちょっとだけ金持ちになり金持ちはうんと金持ちになるという方式の方でなければうまくいかないというのが、資本主義社会の選択です。それでは早く地球がパンクしてしまうということになります。
そこで資源について、廃棄から循環への転換ということになるわけです。あらゆるものを全部循環するのは大変難しいですが、我々は廃棄物の処理について、まさに今ゼロエミッション型でもって考えなきゃならない。使い捨て型ではなくて、循環型に変えていかなきやならない。先程シカの話をしましたけれども、今10人の人に対して8人分しか食べ物がない時、インドのベンガルみたいなことが起これば、全員死んでしまうかもしれない。あるいはごく少数の人だけが生き残るかもしれない。人類が最も倫理的になった場合には、全員腹八分目で全員生き残るという可能性があります。もしも50%になったらどうでしょうか。50%になったならば全員が腹五分目だと、シカと同じで人類が絶滅してしまうわけです。人類が環境問題を倫理的に解決できる限界は、食糧について言うならば全員が腹八分目でがまんできるという限界です。もし50%になったら、人類は殺し合いをするなり何なりめちゃくちゃなことをする以外に生き残る道がなくなってしまうわけです。我々は腹八分目の限界の中で合理的にコントロールして、21世紀を乗り切らなければならない。
19世紀までの個人はコントロールできないけれども、世の中全体では市場経済の調整システムでうまく収まるという考えは甘すぎます。人類全体の未来について非常に冷静な理性的な判断を社会全体の判断に切り替えていくという文化体質を作らなければならない。予測というよりはむしろそうしなければならないという形での、環境から見た21世紀の姿になると思います。
私のお話はここで終わらせていただきます。