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自然と人間の共生−−湖と環境の例から

吉 良 竜 夫 (滋賀県琵琶湖研究所)

 「自然との共生」という言葉が、国の環境基本計画をはじめ各方面でもてはやされている。自然を保全し「共生」していこうとする姿勢は、総論ないしムードとしては、日本の社会にひろく受け入れられるようになった。しかし、なぜ「共存」でなくて「共生」か、具体的に自然とどのように接するのが「共生」なのかといった基本的な理念はあまり追及されることなく、共通の理解も欠けたまま言葉だけが一人歩きしている。だから、現実の開発と自然保護との関係の各論になると、意見が対立し、なかなか合意が成立しない。また、環境行政・科学的研究・住民運動などの形で行われている自然保護活動のなかにも、「共生」の視点からは必ずしも適切でないものがあるのではないか。この問題を、湖周辺の例をあげながら考えてみたい。

 「共生」という言葉は、いまは、もとの生物学用語(シンビオーシス)から人間集団間の関係にまで拡張して使われている。それは、相手の文化や伝統を理解し尊重しながら、相互の批判と交流を通じて、より次元の高い共存の道をさぐろうとずる姿勢である。この定義にならえば、自然との共生とは、自然の原理を理解し、本来の構造と機能をもった自然の存続をはかり、それと人間活動との共存をはかることでなければならない。

 自然との共生が強調されるようになったのは、いうまでもなく、地球上の環境のこれ以上の悪化をくいとめるためには、自然のはたす役割に期待するところが大きいからである。それは、
 *自然のシステム(生態系)は環境を維持し安定化ずる巨大な働きをもつ
 *進化の歴史が蓄積した地球の財産―−生物多様性を保持するの2つの役割である。

 自然のシステムがもつ環境調節作用はきわめて多様で、個々の作用は単一の目的のために設計された人工施設ほど強力ではないけれども、その総合的な働きは人工システムでは代替できない。そのような機能とそれを支える構造とを保持した自然をできるだけ多く残しておくことが、地域・地球の環境の安定のためになによりも必要である。新しい開発は必然的に自然の破壊・文明空間の拡大を伴なうという既成観念を捨てて、すでに人間が占有している空間のより高度な利用によって文明の発展をはかるべきである。残された自然を利用しないわけにはゆかないが、その利用は、自然本来の構造と機能が失われない程度の持続可能(サステイナプル)な利用にとどめなくてはならない。
 しかし、1992年の地球サミットで生物多様性条約が成立し、それに対応して種の保存に関する国内法ができていらい、「自然保護=生物多様性の保護=希少(絶滅危惧)種の保護」という短絡的な風潮がひろがっているのには問題がある。珍しい種の保護だけが自然保護ではない。生物の種の存続は、その種が属する生態系(全生物と環境のシステム)の一部として生活することによって保証されているのだ、ということがしばしば理解されていない。生態系の基本的な性質を支配しているのは、そのなかで量的に優勢な生物−−普通種−−だから、普通種が減少すれば珍しい種の生存もおびやかされる。種を保護し、生物多様性を維持していくためには、普通種を含めて生態系ぐるみで保護するのがもっとも有効な方法である。

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