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知的障害者福祉研究報告書
平成6年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


施設見学・ヒアリング記録

日浦美智江氏(福)訪問の家 「朋」

日浦美智江氏((福)訪問の家 「朋」施設長)
出席者 大正大学人間学部人間福祉学科教授:北沢委員
     (財)日本船舶振興会:菅原係長、山口
     (株)福祉開発研究所:宮森、小林
場 所 (福)訪問の家 「朋」

【「朋」設立の背景】
○横浜市は昭和47年から全員就学を実施した。それによってどんなに重い障害を持った子供でも、学校の中で教育を受けることができた。しかし、当時学校を卒業した重症心身障害児の子どもたちにとって、その先は「入所施設」か「家」の中にしか行き場がなかった。
○養護学校に通っている子どもたちは病人ではない。チューブは生きるための手段でありお腹をこわしているわけでも、熱を出しているわけでもない。その子たちが1日中ベッドで寝ていなければいけないというのはおかしい状況である。
○学校を卒業した後でも何らかのサポートを行うことによって、ふつうの人と同じように日々を暮らせる場が欲しかった。
青春時代としてチャレンジできる場を与えたかった。
○そのような考えを持って、横浜市の養護学校で勤務していた当時に出会った母親たちと共に小さな作業所をスタートさせた。
○当時、重症心身障害児の通所施設は全く法文化されていなかった。「朋」は精神薄弱者更生施設(通所)として認可を受けた。

○通う場所があることのメリット
?@毎日の生活のリズムがつく
?A明日も学校へ行くんだという気持ちの「はり」から家族も子どもの健康をしっかり観る
?B母親たちのピアカウンセリングの場の形成
?C一人の人格として受けとめてくれる存在(学校でいえば教師)があるということ

【医療について】
○重心の人たちが地域生活を送るうえでまず問題となったのが、医療のサポートをどうするかということであった。
○医療がイニシアティブをとるのではなく、「生活」を中心に「医療」が外側からサポートを行う体制。なにかあったときにすぐ医療の手が差し出せるような体制が望ましい。

○「朋」開設による診療所
?@概要
・平成6年3月に「朋」の2階に開設。
・所長は「朋」の嘱託医を4年間務めてきた東京女子医大の医師。
?A勤務体制
・月、木、金曜日は所長(東京女子医大医師)が勤務。
・火、土曜日(半日)は横浜市大の医師が勤務。
?B診療所開設による影響
・利用者の入院件数が減少した。→変化に対して早く手が打てることによる。
・「親の安心感」が増した。
・職員たちの子どもたちの健康状況を観る目が向上した。
?C人件費
・所長の人件費は診療所収益と横浜市の補助から支払われる。
?D地域の中における位置づけ
・母親が職員の介助技術を見て覚えるなど、「朋」とつながった機能の広がりが見られる。
・横浜市を北、中、南に区分けした場合の南部を対象エリアとしてカバーしていきたい。

【今後に向けて必要性を感じている機能】
○「朋」を利用している重心の人たちを支える生活支援ができたら、それはどの人にも通用する生活支援となる。そのようなセンターが欲しいと感じてる。

○医療面での機能
?@宿泊機能
現在「別」に宿泊機能はない。緊急時には宿泊して医療を受けられるような機能の必要性を感じている。
?Aホスピス機能
元気な時には「朋」のメニューに合流して過ごすことができて、行き来が可能となるようなホスピスの必要性を感じている。
○インテグレーション機能
・市民活動の場、ボランティア活動の場、研修の場として、いろいろなメニューを出していきたい。
○「医療機能」・「宿泊機能」・「地域交流機能」をいかに有機的に結びつけていけるかが重要なポイントであると思う。

【横浜市における施策の流れ】
○「朋」に通っている人の大半は「子ども医療センター」利用してきた人たちである。
同様に、緊急一時保護を利用しているの人のほとんどは「子ども医療センター」か「横浜療育園」を利用してきた。
○横浜市の重症心身障害児への対応は、元々は在宅で、医療的な面をこれらの施設が対応してきた。
○ただし、以前は入所施設がなくて仕方なく在宅だったのが、今は積極的に在宅を推進しているというのが実状である。

【レスパイトサービスについて】
○「朋」では第3週の金曜日と土曜日に横浜市大の医師に当直してもらって、重度の障害を持つ人4〜5人を対象としたレスパイトサービスを行っている。
○「朋」では障害の程度に関わることなく、レスパイトサービスを利用できるように「機会均等」でサービスを提供している。
○機会均等にしたことによって、ほかの親も罪障感なくサービスを利用できるようになったという結果をもたらした。

【グループホームについて】
○4年前に三菱財団から助成を受けて「デイアクティビティを支えるためのナイトケア事業」としてグループホームの研究、試行を行った。
○当初は、この研究が終われば、すぐにグループホームに移行できると考えていた。
○しかし、それは予想以上に困難であり、スタートするまでに3年がかかった。やっと去年の3月に大改造してもよい家も見つかり、グループホームを開始させた。
○重度の障害を持つ人は環境に慣れるのに非常に時間がかかる。それに対して職員は本人のペースに合わせて本当にゆっくりとした対応を行った。これが非常に有効であった。
○今では4人の利用者のうち、2人は完全に宿泊できようになった。また1人は3日、1人は2日間は泊まれるようになっている。

○重度の障害を持つ人に対応したグループホームをスタートさせるうえでの留意点
?@親の気持ちのへの対応→親とどのように話し合っていくか。
?A建物の確保
お金と場所を貸してくれればグループホームはできる。
?B重度の人に対するハード面の対応
・「朋」のグループホームは玄関、階段が電動式(ふつうの家を改造した。費用は700万円)
?C人的な面(介助者の質と量)
・法人にとってはいかにして良い職員を補充していくのかが難しい。
・小単位で家族的になればなるほど、介助者の質が求められてくる。
?Dチェック機能
・「朋」において外部からのチェック機能を果たしているのはボランティアに来ている人たちである。

【児・者一貫政策について】
●従来ある重症心身障害児施設における1つのポイントとして「児」と「者」に分けるという1つのコンセプトがあるが、「児」についていえば従来ある流れの中、訪問学級等も含めた教育対応の中ではある程度仕方がないと感じている。
一方、「者」の領域においてはどのような対応が望ましいのかという発想がなかなか出てこない。
●「朋」が開設されたときに、重心の分野では「者」への対応はあり得るのだと感じた。児童福祉法における重心施設が年齢制限もないままにされているということは、おかしいことなのだという発想を持つきっかけとなったと思う。
●障害者福祉法における重心の問題は「児」の中に閉じこめた状況で、結局は医療に重点を置いて対応していくという感じは変わりそうにないのかと感じている。
(●は北沢委員の発言)

○重心だから、「児」も「者」も一緒というようには考えて欲しくない。「者」は「者」なのである。
○IQが同じでも、2〜3歳の子どもと20何年生きてきた人では積み重ねてきた感情の歴史が違うのである。重心の人も年を経るにつれて感情はどんどん変化していく。それが「人間らしさ」である。
○障害を持った人は病人ではなく、「病人になりやすい人」なのである。

【「朋」の役割】
○可能性を広げることができるような仕組みづくりが必要であると思っている。
○「どんなときでも、何かあったときには「朋」が駆けつけるよ」という気持ちを常に持っている。「朋」は通所施設であるけれども24時間対応の通所施設であると考えている。
そのような存在があるのとないでは、親の安心感は全然違ってくる。
○これまで、「朋」の利用者の方のうち、8名の方が亡くなっている。そのうちの1人の母親は「朋」の非常勤職員となった。また他の母親についても皆ボランティア等、「朋」との関わりを持ち続けている。
○「朋」の設立によって、学校卒業後の生活のつながりはできたが、この後、つまり、どうやって人生を締めくくるのかという問題への対応が最終ラウンドである。

【「朋」が成り立った条件】
○今後、「朋」の実践がメインになっていくとは考えていない。

○「朋」が成立した条件
・「朋」が成り立ったのは良い条件が重なった結果であるともいえる。
?@地域の反対→反対があったために、みんながここを注目した。
?A場所が住宅街で人材を得やすい環境であった。
?B保護者とかなり長い付き合いなので信頼関係ができていた。

○「こういう条件がそろったら、重症心身障害者といわれる人もこういう生き方ができる。決してできない人たちではないのだ。」ということを朋は言っていきたい。
親が勇気をもてるようなことを示していきたい。

【運営費、建設費について】
○横浜市の補助金は「指導員〜人分」、「医師〜人分」という方式で受けられる。
●たくさん補助金を出している自治体のやり方を勉強する必要があるだろう。
(●は北沢委員の発言)



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