わが国における精神薄弱児の保護・教育の取り組みは、石井亮一によって明治29年、東京に創立された「滝乃川学園」が今日の精神薄弱児施設の第1号である。
その後、明治43(1910)年に京都に白川学園、大正5(1916)年に同じく京都に桃花塾等いくつかの施設が設立されたが、その数は終戦に至るまで10数カ所が作られたに過ぎない。
当時の対応としては、いわゆる「施設収容保護」であったといえる。対象となる人々を施設の中で、親に代わって、社会の偏見と差別から守っていこうとするものであるが、結果的にはこれによって社会とは隔離された状況となった。
全ては民営の施設であり、当時施設に対する公的援助は全くなかった。
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