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(4)言語

ベトナム語の起源は明らかではないが、「越」の国の方言にタイ族の方言、更にモン・クメール語などもまじり、中国語が混入して成長してきた言語といわれ、6声調がある。約1千年にわたる中国支配の影響で多くの漢語を利用していた。14世紀にベトナム語の音と意味を既成漢字の「偏」と「つくり」で合成した文字「チュウノム」が考案され文字として確立されたが、17世紀にフランス人宣教師がローマ字表記を考案し、19世紀にフランス植民地になってからこれが普及し現在に至っている。なお、ベトナム人が800年をかけて南下していく過程において大きく3つの方言として変遷してきたが、現在はハノイ方言が標準語とされている。

 

(5)ベトナム略史

a. 中国支配

紀元前3世紀末、トンキンと北部アンナンに広がっていた「越」の一部部族オウラクは、秦始皇帝により紀元前214年に征服され、秦が滅びると広東地方の家族チョウダが独立し紀元前208年にオウラクも併合しチョウ王朝を創建「南越国」と称した。しかし、紀元前111年に漠武帝に滅ぼされ、その後時折反乱を試み短期独立をするも鎮圧され、この後約1,050年間中国に支配された。

b. ベトナム独立

939年、ゴ・グェン(呉権)が南漢軍を破り呉王朝を樹立、中国からの独立を果たした。その後、19世紀にグェン王朝がフランスに侵略されるまでの約950年間、中国の明の一時期の支配を受けるほかは独立を維持していた。この間、西のラオスとチャンパ(チャム族)を攻め南部に勢力を伸ばしていった。ベトナムの国家的基礎が確立したのは、明軍を破り「大越国」を樹立したレ朝(1428年)からである。

16世紀には、レ朝は衰退し、北のチンと南のグェンに分裂し、17世紀に50年にわたり南北間の抗争が続けられた。グェンはチャンパを征服し更に南下し、クメールの領域であったコーチシナ全域を領有するに至った。南北対立は18世紀中部で起きた反乱により双方とも滅亡するが、生き残ったグェンー族のグェン福映がフランスの援助により反乱勢力を鎮圧し、1802年南北統一を果たし、「越南国」を樹立してザロン(嘉隆)帝を名乗り中部のユエに都をおいた。

c. フランス侵略

ザロン帝以降のグェン皇帝が排外政策をとったため1858年フランスはスペイン宣教師処刑事件を契機に中部で武力侵略を開始し、1883年にベトナムを保護国にした。フランスは、1887年にはカンボジアを含め仏領インドシナ連邦をつくりハノイに総督府をおいた。1899年にはラオスに併合し、フランス統治は第2次世界大戦末期まで続いた。

 

 

 

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