二章 市場庄の歴史と生活
1.自然条件(地形と気候)
一志郡三雲町大字市場庄は、東方に遠浅の伊勢の海、西方に布引山地をのぞむ伊勢平野中部の平地にある。海岸線に沿ったこの辺りの平地は、1970年代の県営圃場整備事業により整然と区画されている。それでもあちこちには、水田面より僅かに高い標高1メートル前後の砂堆が畑地として残され、そのほとんどの地に弥生時代以降の各時代の遺跡がある。
近年の新住宅地や商業、工場用地は水田を埋め立て造成されているが、市場庄をはじめ近世以来の集落はその砂堆上にある。伊勢街道も海岸線から離れるが、砂堆上の集落を連ねて海岸線の方向に沿いながら南北に続いている。
今、見られる市場庄の家並みは北端では、松阪市六軒町の家並と軒を連ねているが、少なくとも1920年代頃まではとぎれてその間は縄手になっていた。大雨の時には縄手の街道は冠水することもあったという。一方、南隣の大字久米の集落との間は、今も一段低く水田になって家並がとぎれている。
このあたりの気候は、典型的な伊勢平野の一年が巡る。近年の気温は2月が最低で、平均では氷点下になることはなく、8月が最高になり、平均では30度を越える日も少ない。年間降水量は2000ミリを越えることもめったに無い。以前は年に2日か3回ほど積雪したこともあったが、最近では雪はちらついても積雪を見ないという。
風向はだいたい1月から5月と、9月から12月には北西の風が強く吹き抜け、6月から8月の夏の間は海から南東の浦風(うらかぜ)が吹く(津気象台気象観測資料)。もちろん夏冬の季節風のあたりかたは、街道の東側の家筋と西側の家筋とではかなりの差がある。
2.前史(遺跡、荘園)
雲出川南岸と三渡川をはさんだ三雲の歴史は、市場庄の西側の砂堆上に始まる。伊勢湾沿岸の弥生時代前期でも早くから人々の暮らしが始まる中ノ庄遺跡である。遺跡の範囲は10万平方メートルに及び、1971年の県営圃場整備事業にともなう発掘調査では、その一部が調査され、縄文時代晩期、弥生時代前期、中期以降、数百年の間隔で古墳時代後期、平安時代、鎌倉時代の各時代に断続的に集落のあったことが知られている(中ノ庄遺跡発掘調査報告)。