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います。合わせると3割から4割です。これが、多分ノンステップバスのターゲットになるのだろうと思います。移動制約者と健常者の両方が対象であるということです。

 

3. リフトバスとローフロアバス

ノンステップバスとローフロアバスがいつ、どのように出てきたのかということを簡単にお話ししたいと思います。

まず、リフト付きバスですが、これはアメリカ発です。日本はアメリカの影響でリフト付きバスをずっと展開してきました。2年前まではそういう状態でした。米国ではリハビリテーション法(1973年)というのがあります。これは一言で言うと障害を持つ人を差別をしていけない。具体的にはモビリティの機会平等の法律でした。この法律が出たことによって、障害を持つ人も一般の健常者と同じように外出できるように保障しましょう、そういう動きがありました。それの最たるものがリフト付きバスの運行で、1977年に行われました。日本はこれから13年遅れて1990年に出るわけです。

そして、リフト付きバスか、パラトランジットか。障害を持つ人をリフトをつけてドアツードアで送迎するような乗り物のことをアメリカではパラトランジットと呼んでいます。このときに運輸省は50%ルールというのをつくりました。一般バス路線に少なくとも50%はリフトを入れようとしました。そうしたらバス協会と裁判になって、いろいろもめた結果、選択の自由になったんですが、揺り戻しで、またリフト付きバスに戻すことになったわけです。

1990年に障害を持つアメリカ人法ができてからはリフト付きバスはさらに普及し、ニューヨーク、シアトルなどはほとんどリフト付きバスが走っているという状況にまで来ました。

ここで記憶をちょっと戻しまして、リフト付きバスか、ドアツードアのハンデキャブのようなスペシャルトランスポートかという議論がなぜ起こったのか。これは障害を持つ人の特別な対策をバス側でやっていたからです。当時、もしノンステップバスに取り組んでいたら、この問題は起こらなかったのではないかと思います。起こったとしても、もうちょっと弱かったのではないか。そういう感じがしています。

ノンステップバスがどのように普及してきたかということですが、西ドイツのテレバスというものがあります。ドイツの運輸省が何十億もお金を出してスペシャルトランスポート・サービス、これは障害を持つ人のドアツードアサービスですが、その開発を行いました。それから車両の研究、財政の研究でテレバスはスタートしました。

82年にヒアリングに行った時点では、それはかなり積極的に展開されていて、結果的に障害を持つ人の交通対策はものすごくお金がかかるという話が出たり、車両の研究をテレバスがやることによって、先ほどのノンステップ型の小型のバスを86年にはバンクーバーで見ました。そして乗りました。ボロースあたりでも80年代の中ごろ以降、そういったものが動き始めました。そういったことで、西ドイツのテレバスがあったからこそ、ノンステップ型のバスの普及のための基礎研究がスタートしたのだろうと見ています。

EUではノンステップバスは最初、空港で大型が運行され、80年代後半から市内を走るようになりました。日本では92年から95年に運輸省の技術安全課のほうでバスの統一基準を検討

 

 

 

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