日本についてもずいぶんいろいろなことが言われているわけですが、 例えば、 九州を含む西南日本にマラリアが発生するとか、 あるいはこの地域なんかもですね、 今、 我々が食べているのはジャポニカという米の種類ですが、 そのジャポニカが育たなくなって、 チャーハンかなんかにして食べるインディカ米しか育たなくなるのではないかなどが、 かなりの高い確率で言われているわけです。
これは将来のことですから、 あくまでも予想のわけでございますけれども、 一度そういう状態になると元に戻らないんだということが重大です。 この問題については、 いろいろ問題の捉え方ございますが、 地球温暖化の問題というのは、 今迄の環境問題というのに比べて、 難しい局面がいくつかあるわけです。 それはどういう局面かと申しますと、 いわゆる問題が見えないわけです。 可視性と申しますか、 見ることができないのです。 見ることができないのは、 分かりにくいわけです。 どういうことかと申しますと、 例えば今までの場合ですね、 非常にはっきりしています。 公害問題は、 誰が公害の発生者であって、 加害者が誰で、 で、 被害者は地域の住民という図式が非常にはっきりしております。
それから具体的に現場があるわけですね。 例えば有明海の干拓。 埋め立ての問題だとですね、 例えばムツゴロウならムツゴロウの生息地という現場があって、 マスコミで取り上げられやすいわけです。
あるいは湾岸戦争の時だと、 重油に塗れた水鳥がいたとかですね。 そういうことがあるわけです。
あるいは最近、 産業廃棄物の問題が非常にやかましくなっておりますけれども、 例えば香川県の豊島という所にですね、 物すごく高い、 山のように廃棄物が捨てられている。 それはテレビでも画面に捉えられる。 ところが地球温暖化の場合には現場がないわけです。 現場がないからそういうものが具体的に目に見えない。 あるいはものを捉えられないということがあるんだと思います。 しかも、 その構図がですね、 さっき言った公害問題のように加害者が誰で被害者が誰だということが無いわけです。 加害者が誰で被害者が誰だという場合は、 既に、 汚染者負担の原則という、 汚した人が負担をするんだよということでPPPと言っておりますけれども、 そういう原則で解決するんだということがある程度確立されているわけです。 地球温暖化の問題は我々を含めてすべての一般の市民がその加害者であると同時に被害者のわけです。 だから被害者と加害者の関係が従来の公害のような関係にあるばかりで無く、 しかもその意識の中でほとんどの人が我々が加害者であることを意識していません。 これから開発途上国の問題が出て参りますけれども、 先進国はフリーライド (ただ乗り) して、 いいとこ取りをして、 いいことを味わってる。 あるいは生活の豊かさ、 快適さを味わってるのがただ乗りでなってるんだということを、 自身、 あまり気がつかないという所が、 非常に問題であるかと思います。