両隊長の指揮連携によって要救助者を悪化さすことなく救出することができた。後日、当局で研修会を行い類似事故対応活動(医師、専門員の早期現場出向対象・類似事故想定訓練・重機等の構造研修会等)の検討を行った。平素から、救助隊員として救助技術の向上のため、災害現場を想定した訓練を重ね消防の役割を果たし、市民の安全管理人としての責任と使命感を持ち、平和な日々を願い毎日の業務並びに活動に遭進する決意です。
(菅野 数典)
予防・広報
防災の誓いを引継ぎ災害のない住み良い街をめざして
能代地区消防一部事務組合消防本部(秋田)
はじめに
当組合は、秋田県の北西部に位置し、1993年世界遺産に登録され全国的に注目を集めたブナの原生林の白神山地の南側にあたり、日本海に面した能代市・八森町・峰浜村の1市1町1村で構成されている。管内の面積は、480k?u、人口は約66,000人、115人の職員が1本部・1署・1分署・3出張所に勤務し、あらゆる災害に対処すべく一致団結して職務に当たっている。
組合の核となる能代市は、かつて「木都能代」として米代川の水運を利用し天然秋田杉の集散地として栄えた。その面影は、現在もなお基幹産業として、市内に木材関連業種の多いことからしのばれる。また、市の海岸線には先人の知恵と努力により、日本の五大松原にも選ばれた黒松の砂防林が続き「風の松原」の名称で親しまれ市民の憩いの場となっている。
当市は昭和24年、31年の2度の大火をはじめ、昭和47年の一級河川である米代川の大水害、そして昭和58年の日本海中部地震など尊い人命や多くの財産を失う未曾有の災害を経験し、今なおその復興に努めている市民にとって火災予防並びに防災に寄せる思いは特別である。
しかし、昭和24年の大火から間もなく50年、日本海中部地震でさえすでに14年を経過し、多くの住民は当時の記憶も薄れはじめており、あの時感じた悲惨な災害の恐ろしさ、残酷さを自覚させ防災の誓いを風化させることなく次世代に引継ぐことが、消防行政に携わる我々の責務であるとの強い決意から、当本部では底辺拡大をめざし、次に紹介する予防広報活動を通じて住民の防火思想、防災意識の高揚を図っている。
1 地域住民に直接訴える広報活動
当本部でも、広報誌・テレホンガイド等のメディアを利用し様々な広報活動を実施している他、地域住民と直接触れ合う事のできる広報、つまり、地域の住民が自分の眼で消防車両を見、自分の耳で警鐘の音を聞くことのできる広報がより効果のあるものと考え、年間を通じ午後7時から5署所の消防車両が各々コースを定め、赤色灯の光とカン高い警鐘の音で就寝前の火の元確認と火災予防を訴え巡回広報を行っている。
昭和31年の2度目の大火後から実施している毎日の夜間警戒は各家庭にとって時計代わりのような馴染みとなり、消防車両などが通る時刻には窓際で待ち受け手を振って迎えてくれる子供達、また、わざわざ玄関先まで幼い子供を抱いて出てくるお年寄りがいるなど、毎日の生活のリズムとして深く住民の間