憂勤(ゆうきん)はこれ美徳なるも 太(はなは)だ苦しまば
即(すなわ)ち以って性に適(かな)い情を恰(よろこ)ばしむることなし──洪応明(『菜根譚』)
堀田 中国古典はリーダー論とか戦略論が一般的ですが、守屋さんのご著書を拝見して特にお見事だなと思ったのは、先人たちの後半生にも光を当てられていますよね。これは非常にフレッシュですよ。
守屋 それは堀田さん、自分の問題ですからね(笑)。
堀田 まさに(笑)。
守屋 ふっと気がつくと、もう五〇を過ぎ、六〇になって、さて、どうしたらいいのか。中国古典には人生の短いことを嘆く言葉がいくつも出てきます。「人生は朝露の如し」「人生は幻花に似たり」…。本当に六〇を超えて自分の人生を振り返ってみますと、あっという間だったなあ、いつの間にこんな年を取ったんだろうと思います。
堀田 それはきっと、万人に共通する思いでしょう。
守屋 ただ中国古典では人生が短いのを嘆いたあとで、だいたい「だからせいぜい楽しんでからあの世へ行きたい」という意味の言葉が続くんです。ほどほどの楽しみ、溺れるな、のめり込むな、仕事があって楽しみがある、楽しみがあって仕事がある、と。
堀田 まず自分を大切にする、その上で充実感を味わっていこうという思いでしょうか。戦後の高度経済成長の中で、日本人はいつの間にか自分自身の人生をなくしてしまいましたよね。何のために仕事をしているか、というその源がなくなっています。その点、中国では社会の仕組みや権力者が激しく変わる中で、結果的に自我を強く持たないと生きられないという背景はありました。
守屋 なんのかんのいっても、日本はいろんな面でいい社会なんですよ。国や政府に「助けてくれ」といえば、「うん、何とかしてやろう」となる。ただそれだけに一人ひとりの逞しさがなくなってきました。中国人は基本的に国や政府を信用しませんから。
堀田 アメリカも政府を信用しないから、あれだけ投票もする、ボランティア活動もやる、自分たちでやらなきゃという気概があります。ヨーロッパの多くの国でもあまり政府が

