第3章 ヴィエトナム社会主義共和国
第1節 はじめに
1 一般
ヴィエトナムの歴史は秦の始皇帝の「南越征略」(紀元前214年)に始まると言われる。その後も漢を始め、中国諸王朝の支配下に置かれ、特に3世紀頃から中国の統治が強まり、7世紀に現在のハノイに「安南都護府」が設置された。この中国の支配を受けていた時代に官僚制も導入され、科挙制度はその一例である。
その後、中国の宋、明や清朝の時代には中国軍を破り、ヴィエトナム人による王朝を設立したが、今日のヴィエトナムの骨格を成す統一的な王朝は、1802年に誕生したグエン王朝まで待たなければならなかった。グエン朝は、清の政治・官僚制度を積極的に導入し、行政制度の中央集権化を推進した。
19世紀になると、他のアジア諸国と同様、西欧列強による植民地化の対象となり、ついには1885年にフランスの植民地となった。さらに、日本軍の進駐、インドシナ戦争、南北ヴィエトナム分割、アメリカとのヴィエトナム戦争を経て、1976年北ヴィエトナムの勝利の形で南北ヴィエトナムが統一され、ヴィエトナム社会主義共和国が成立した。
ヴィエトナム社会主義共和国成立後も、カンボジアへの侵攻、中国との戦争など、ヴィエトナムを巡る国際関係は幾多の激動を経ており、現在は、経済成長の可能性を秘める国、将来の巨大マーケットとして、世界の注目を集めている。
2 最近の状況
ヴィエトナムを巡る最近の状況として忘れることができないのは、ドイモイ政策である。ドイモイとは、「国の発展に向けての刷新」を意味しており、その語源は、1982年頃から一部研究者の間で使われていた「新しく……初めて……する」という言葉とされる。
ドイモイ政策を採るに至った背景としては、1978年のカンボジア侵攻、1979年の中越戦争を契機として、国際社会からの孤立を余儀なくされ、1981年に旧ソ連からの援助が打ち切られたという国際的な事情が存していた。さらに旱魃、大洪水という自然災害の発生もあり、ヴィエトナム国民は飢餓すれすれの生活状態に至った。