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1. 第1次改造工事

昭和13年2月,長崎港口にある香焼島の川南工業(株)香焼島造船所で,「ボロチャエベツ」という船名のソ連注文の耐水貨物船が進水した。この船が「宗谷」の前身である。しかし,進水直後, ソ連への引き渡しが中止され,「地領丸」と名をかえて同年6月竣工、姉妹船「天領丸」「民領丸」と共に辰南商船に所属して, 樺太から木材, 朝鮮・台湾から米・雑貨, 大連から大豆粕の輸送に従事した。昭和15年2月,「地領丸」は海軍に購入されて,「宗谷」と命名され, 石川島重工で改装の後, 同年6月より樺太.北千島の測量に従事, 開戦後はサイパン島トラック島の測量に当たった。ミッドウェー.ソロモンの両作戦にも参加した。昭和18年1月, ソロモン群島の泊地で米国潜水艦の魚雷が「宗谷」に命中したが, 不発のため沈没を免れ, 逆に爆雷を投下してこの潜水艦を沈めた。また, 昭和19年2月トラック島で米国機動部隊600機による大空襲に遭い、在泊艦船がほとんど撃沈されたのに,「宗谷」は回避行動中座礁したまま難を逃れるなど, 運の強い船であったことが乗組員によって語り継がれている。終戦は室蘭で迎えた。

戦後,「宗谷」は賠償船の指定も受けず,一旦米国海軍に接収の後,返されて船舶運営会管理のもと復員輸送に当たった。21年前半は南方ヤップ島, トラック島, 台湾, サイゴンへ, その後23年までに大連, 北朝鮮, 樺太からの引き揚げに従事した。昭和24年12月,海上保安庁に籍を移して灯台補給船となった「宗谷」は, 毎年3月には瀬戸内海, 5月には北海道, 7月には日本海, そして9月以降九州本土と南西諸島の沿岸灯台への補給業務に就き, 僻地の灯台職員に喜ばれた。

灯台補給船「宗谷」は, 元来耐水構造船であって, その要目は全長83m, 幅12.8m, 深さ7m, 満載喫水5.25m, 満載排水量3,905t, 主機関は蒸気機関1,450馬力, 一軸, 速力10ノット, 航続距離は8.5ノットで4,080海里, 乗組員67名であった。

この船令18年の「宗谷」を砕氷能力1mの砕氷船に改造し, 乗組員77名, 観測隊員53名と資材400tを南極大陸プリンスハラルドまで輸送することになった。このため「宗谷」の主機には,実績のある国産19種類のディーゼル機関の中から最も信頼性のある新潟鉄工所製2,400馬力機関2基が選ばれて搭載され, 補助機械もすべて一新された。

この機関は61回の南極航海においてプロペラに加わる氷塊の衝撃によく耐えて関係者の期待に応えてくれた。しかし, 直径30cm, 長さ9mの推進軸は, 毎次帰国後調査すると偏心を生じて

 

 

 

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