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南極観測と南極観測船「宗谷」

 

1957年7月より58年12月迄の第3回国際地球観測年において南極観測参加を表明した国は, アメリカ, ソ連, イギリス, フランス, オーストラリア, アルゼンチン, チリ, ニュージーランド, ベルギーであって, 日本にも参加希望の打診があった。日本学術会議は所要経費や観測に使用する船舶などについて調査・協議を重ね,昭和30年9月ブリュッセルで開催の第2回南極会議で参加を申し出た所プリンスハラルド海岸における南極観測を各国から要請された。これを受けて同年11月始めの閣議でわが国の南極観測参加と文部省に南極地域観測統合推進本部設置が決まり, 続いて本部第1回総会で観測隊員と物資輸送船舶として海上保安庁灯台補給船「宗谷」を砕氷船に改造の上使用する事に決まった。

海上保安庁は全庁を挙げてこの重大任務の遂行に取り組むことになり,「宗谷設計審議会」(委員長.東京大学教授山県昌夫, 委員.学識経験者24名)を設けて「宗谷」の改造計画案を審議し万全を期した。

昭和31年2月4日運輸省船舶局長室で開催された第1回南極観測船「宗谷」設計審議会の冒頭海上保安庁水品政雄船舶技術部長は次のとおり述べた。「昭和30年夏南極観測の議が興ってから, 南極観測船として国鉄の宗谷丸を使用するか, 新造か, 或は改造かということについて大蔵省から技術的調査を依頼されてやって来た。その後学術会議で「宗谷」の使用が決定され, また文部省南極地域観測統合推進本部でも「宗谷」を使用することに定められ, 海上保安庁は本格的にこの問題に取り組むようになった。しかし海上保安庁としては「宗谷」でよいのかどうか疑念がある。例えば「宗谷」の出しうる砕氷能力は1mが限度であるが, この1mの砕氷能力で充分であるという確実な裏付けはない。しかし所要経費と時間の点から制約されて日本の国力の限度として「宗谷」に決定されたのである。砕氷能力1mを決定したのは科学的に定めたものではなく,「宗谷」が到達出来る砕氷能力が1mであるという意味であって我々はこの能力で最善を尽くそうと思う」これに対して永田隊長は「隊長としては万全を期すため, 南極大陸に船を横付けすることは考えていない。「宗谷」の持つ最大能力でよく, 観測隊の規模はこれによって定められるべきもので柔軟性を持っている」と述べた。

 

 

 

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