日本財団 図書館


横行した海賊船対策、「宗谷神社」鎮座、テアトル宗谷開場、宗谷新開発行、「リキ」「テツ」「風連のクマ」「比布のクマ」「クロ」「ゴロ」「デリー」「トム」〜達と、想像もしなかった色々な事を経験しながら南支那海に入り、パラワン航路を一路シンガポールに向かって、ゆらりゆらりとひた走って行きます。

この男集団の人数・平均年齢はと言えば、宗谷乗組員77名、平均年齢28.2歳、隊53名、35.1歳総員130名31.7歳

 

4. 第一次のシンガポール〜ケープタウン

マラッカ海峡を抜けてインド洋へ インド洋を斜めに走って23日北半球から南半球へ。

赤道祭が盛大に催され、安定した星空を眺めつつ「テアトル宗谷」は佳境に入ります。そして宗谷大学が開講されます。気象・海象・地磁気・電離層・極光・宇宙線・地理・地質・氷河 その他 各分野の世界的権威者揃いの豪華な教授陣の講義は、実に貴重な講座であったと今も懐かしく想い出されます。そして南極の過酷な自然に負けずに生きる手段として、手旗・モールス・天測・結索 その他 最も基本的な知識も身につけました。

美しいインド洋の夜空に大流星が流れ、世界初・ソ連(当時)の人工衛星スプートニク1号が、綺麗な尾を引いて夜空を横切って行きました。観測陣は大喜び、大わらわで観測に追われましたが、ケープタウン入港後、スプートニクに対する意外な反響を見聞し驚きました。

日本の遠洋マグロ漁船が、わざわざコースを変えて「宗谷」に会合し、「まぐろ」を届けて成功を祈ってくれました。我々も半年・一年と日本に帰っていない彼等に、比較的新しい新聞・雑誌・週刊誌や、日本の香り高い食べ物を届け、お互いの健闘と航海の安全を祈りました。

航海中この様な励ましは数多く頂きました。感謝と南極に対する関心の高さに、身のひき締まる思いがしました。それと同時に、何処から入手したのか判りませんが、『「宗谷」は、よく揺れると聴きましたが如何ですか?』というような、質問とも慰めともとれる通信もよくありました。

アフリカ最南端のケープ・アグラス岬沖を通過し、ケープタウンが近くなると「刈らしてくれ、刈らしてくれ」と、散髪の押し売り?が船内を徘徊し見事なトラ刈りヘアモードが、チラホラ見受けられるようになります。

入港が近くなると、何時も観られる楽しい景色です。

濃い霧と霧笛に迎えられ港外に仮泊した翌朝、ケープタウン市街の背後にそそり立つテーブルマウンテンと、右前方に屹立するライオンズ・ヘッドを目にした時の感激は今も忘れません。

1497年ポルトガルのバスコダガマが、CAPE GOOD HOPE(希望峰)を発見。東洋への道を求めてインド洋へ入った史実。その希望峰に立つとインド洋の色はグリーンに、大西洋の色はブルーに、私はこの目で確認しました。シーマンの間ではアフリカ大陸最南端の希望峰を通過した者は仲間内の前でテーブルの上に片足を掲げて威張り、更に南米大陸最南端のホーン岬

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION