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チュアン内閣は、政治制度の民主化を政治面での最大の課題とした他、所得格差是正、市場原理に基づく経済政策の推進、労働・社会問題の解決、及びASEAN諸国との協力強化等に取り組んだ。他方、1995年5月、国会における農地改革問題を巡る内閣不信任案の審議後、連立与党の法力党による票決棄権と連立離脱の決定を受け、チュアン首相は不信任案の票決を待たずに下院を解散し、同年7月2日に下院総選挙が行われた。下院総選挙の結果、タイ国民党が第一党になり、同党のバンハーン党首を首相とする内閣が誕生した。しかし同内閣は、相次ぐ汚職疑惑や経済状況の悪化から辞任を迫られ、1996年に下院を解散した。下院総選挙の結果、元軍人でバンハーン政権下で副首相兼国防相であったチャワリット氏が率いる新希望党が第一党となり、同氏を首相とし、6党からなる連立政権が同年11月に誕生した。

チャワリット内閣下の1997年10月、新憲法が発効した。同憲法が従前の憲法と大きく異なる点としては、閣僚と議員との兼職禁止、下院への比例代表小選挙区並立制の導入、上院議員の直接選挙、閣僚の資産公開、有権者による公職者の汚職調査権などが挙げられる。新憲法に基づく総選挙は、2年以内に行われる予定になっている。

一方、チャワリット政権下の1997年春から、タイをはじめとする東南アジア諸国は通貨危機に見舞われ、経済運営の失敗の責任を取って、同首相は同年11月辞任し、チュアン元首相が復帰した。同政権は新憲法下における総選挙までの暫定政権の性格を有している。

なお、1939年以前及び1945年〜1949年までは、タイはシャムと呼ばれていたが、1949年に国名をタイ(正式にはタイ王国。Kingdom of Thailand)とした。なお、タイとは、「自由」という意味で、Thailandとは「自由の地」という意味になる。

 

2 地理的条件

タイは南東アジアの中心に位置し、国土面積は513,115km2(フランスより若干小さく、日本の約1.36倍)に及び、北緯5度30分〜21度、東経97度30分〜105度30分に位置している。北側でラオス、ミャンマー、東側でカンボディア、タイ湾、西側でミャンマー、インド洋、南側でマレーシアと接している。タイは南北の幅が2,500km、東西の幅が1,250kmで、タイ湾とインド洋に接する延べ2,705kmの海岸線を有している。

タイはその自然環境から北部、中央平原部、北東部、南部の4つの地域に分けられる。北部は原生林を主とする山岳地帯で、主要な町としてはチェンマイがある。中央平原部は肥沃な地で、最も米作が盛んな地域になっている。バンコクは中央平原部に位置している。北東部は不毛な丘陵地帯で、厳しい気候のためしばしば洪水や干ばつに見舞われる。南部は丘陵・山岳地帯で、密生林や鉱物資源に豊み、ゴムや熱帯作物の栽培を盛んに行っている。

 

 

 

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