ます。マレーシアにおける富裕度からすると、メイドを雇っている世帯の比率は相当高いので、このことは、この国における所得の計数を膨らませている可能性があります。
しかし、所得統計のユーザーとして、マレーシアで最大の問題は、所得データのアクセス可能性の問題であります。現在、残念ながら、限られたデータが官庁文書で入手可能なことを別にすれば、詳細な所得データは研究者の手には入りません。所得データは、いまだに政府の秘密事項と考えられております。マレーシアには、政府秘密法という法律があります。所得データは、政府の秘密事項であり、なかにはアクセスできる人もおりますが、しかし、それを刊行物として使用することはできません。これは、マレーシアにおいて悲しい現象であると思います。政府は、一方で、公正な分配と経済的に正しい社会が国家にとって重要な目標であると認識していながら、この分野における研究が、データヘのアクセス可能性が欠けていることによって妨げられております。私は、これがわが国で所得分配についての研究がなかなか進まない一つの理由だと思います。当然、政府側にも言い分はあります。多民族国家であるとか、民族間で所得格差があるとか、があると思います。けれども、これは情報へのアクセス可能性と国としての政治的な安定の確保との二つのバランスをうまくとっていくという問題だと思います。
さて、マレーシアにおける所得分配と貧困の問題に関連するその他のギャップであると私が考えていることについてお話ししたいと思います。所得データは、所得分配の状況をかなりよく示してくれるのですが、所得不平等の縮小あるいは拡大をもたらしているようなメカニズムとプロセスを理解するための人手可能なデータが不足しております。例えば、所得不平等の拡大を生じさせている可能性のある重要なメカニズムの一つは、富の所有のパターンであると思います。残念ながら、マレーシアの場合、70年代初め頃には、いくらかの研究がなされたのですが、それほど多くの研究はされませんでした。この国において富の分配(wealth distribution)についての研究が欠けているということであります。ここで、溝口教授が1980年代中頃、富の分配を研究することの重要性をいわれたことを想起していただきたいのです。
私は、富の分配は、マレーシアの経済だけでなく世界経済の進み方も変わってきていることから、ますます重要になってきていると思います。よく知られているように、グローバリゼーション、自由化、それから規制緩和によって国の役割は縮小しています。こうした状況の中で、富の所有あるいは富のよりよい分配が、社会にとって受け入れることのできる程度の不公正さを確保するために非常に重要になってくると思います。この論文の176頁では、ジェームス・ミード教授(Prof.James Meade)が提案された「財産所有ベースの民主主義」(a property―owning democracy)を推進する必要がある、という考え方について言及しております。そこで、ある程度まで、富のよりよい分配がなされるように、また、財産所有をベースにした民主主義と考えられるものを実現するために、富の分配に関するデータが非常に重要であります。そして、残念ながら、マレーシアの文脈の中で、そして私が思うに、域内の多くの国々で、富の分配に関するデータは限られております。