「ヤコブの梯子」について
船本弘毅
「ヤコブの梯子」は旧約聖書の創世記に出てくる物語です。
イスラエル民族は、アブラハムの時代に、メソポタミヤ地方からパレスチナに移り住んだと伝えられていますが、神の祝福の約束を与えられていたにも拘わらず、アブラハムには子供が産れませんでした。しかし彼は神の約束を信じ、住みなれた地を後にして、ただ神の示すままに出発したと聖者は記しています。新しい地での生活は必ずしも容易ではありませんでした。飢饉のためエジプトに逃れたり、持ち物の争いから甥のロトと別れねばなりませんでした。しかし変わらぬ神への信頼を貫いたアブラハムは、年老いて、もはや人間的にはあきらめていた時に、イサクという男の子を与えられます。それはまさに神の約束と祝福の実現であり、アブラハムにとつては歓喜そのものの出来事であったに違いありません。
アブラハムはその後、こうして与えられたイサクを神に捧げることが出来るかという試練を受けますが、神の命令に従い、イサクを連れてモリアの山に向います。それは恐るべき試練でしたが、彼は黙して従ったのでした。そして神の試練に耐えたアブラハムは、「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」という神の祝福を受けました。
イサクは成長し、アブラハムの故郷から、リベカという際立って美しい娘を妻として迎えます。やがてリベカは身ごもり、双子の赤ちゃんを産みます。
兄として産まれた子は、赤くて全身が毛皮の衣のようであったので、エサウ(毛深い者・赤い)と名付けられ、弟として産まれた子は、兄のかかとをつかんでいたので、ヤコブ(欺く者・神は守られる)と名付けられました。
成長したエサウは巧みな狩人で野の人となり、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常としました。父親のイサクは兄のエサウを愛し、母親のリベカは弟のヤコブを愛しました。
イスラエルにおいては、父の財産の多くは長男が継承し、弟は受けるものは少ないのが慣わしでした。ある時、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原からもどり、そのレンズ豆を食べさせてほしいと頼み、ヤコブの求めに応じて、長子の権利を譲ることを約束してしまいました。
父イサクは年老い、目がかすんで見えなくなってきました。そこで兄のエサウを呼び、獲物を取って来て料理することを頼み、その時お前を跡継ぎとして祝福しようと語ります。その話を聞いていた母リベカはヤコブを呼び、家畜の群れから取って来た子山羊を料理してイサクの所へ持たせ、毛深いエサウに似せて子山羊の毛皮をヤコブの胸や首に巻きつけます。目の見えないイサクは、ヤコブをエサウと思い込んで、後継者としての祝福を与えたのでした。
狩りから帰ったエサウは事の次第を知りますが、すでに与えられた祝福は取り消すことは出来ませんでした。エサウに与えられた父からのことばは、遠く離れた所に住み、弟に仕えて生きるということだけでした。
騙されたエサウはヤコブを憎み、心の中で「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」(創世記27-41)と言ったのですが、この言葉を耳にしたリベカは、ヤコブをハランに住む兄ラバンの所へ逃がすことにしました。
こうしてヤコブはひとりハランの地に向かうことになります。そこはかつてアブラハムが神の召しを受けて、父の家を離れ、親族たちと別れて旅立った地でした。アブラハムにとっては、それは行く先も知らずに出発する不安の旅でした。しかしアブラハムには、神の召