PROGRAM NOTE 吉成 順
シェーンベルク:「地には平和」作品13
天使。それは神の使いであり、神の領域と人間の領域をつなぐ。新約聖書の「ルカ伝」では、その天使が夜中に羊飼いたちの前に光り輝く姿で現われ、キリストの降臨を伝える。すると「突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、み心に適う人にあれ」。この句をふまえて19世紀スイスの詩人コンラート・フェルディナント・マイアー(1825-1898)は「天使たちの言葉にもかかわらず世界には血なまぐさい争いが絶えなかったが、しかしいずれは必ず正義によって平和がもたらされるだろう」と歌い、そこに1907年、33歳のシェーンベルクが音楽をつけた。8声部の無伴奏混声合唱。リズムが比較的シンプルである反面、和声の多彩さによって濃密な表出力を実現している。
この曲の音楽語法は伝統の枠をさほど逸脱するものではなかったが、半音の多用による音程のとりにくさは当時の合唱の技術的水準をはるかに超えていた。やむなく作曲者は1911年に、少しでも歌いやすいようにと小オーケストラ伴奏を加えた。後年、彼は指揮者シェルヘンへの手紙でこう伝えている。「私の合唱曲『地には平和』は、混声合唱に対する幻影です。……この曲を作った頃には、こうした純粋なハーモニーが人々の間にも可能であると思っていたのでした。」この文章、書かれたのが第一次大戦の後ということもあって、「ハーモニー=調和=平和に対する作曲者の理想が戦争によって打ち砕かれた」という解釈で読まれ、引用されることが多い。歌詞の内容とも符合して都合のよい解釈だが、残念ながらもとの手紙を読む限り、シェーンベルクは純粋に音楽的な文脈でしか語っていない。複雑な和声の実現が人間だけ、つまり無伴奏では不可能だったと嘆いているのである。だがその後、半世紀以上の時を経る中で合唱の技術は向上し、今やアマチュアの合唱団でもこの曲を無伴奏で演奏することは珍しくない。時代がようやくシェーンベルクに追いつき、「幻影」が現実となったのである。
作曲年代 1907年
編成 混声8部合唱
シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 作品36
「一人の天使の思い出」に自分のヴァイオリン協奏曲を捧げたのは、アルバン・ベルクであったが、この作品の委嘱者であり、初演者でもあったアメリカのヴァイオリン奏者ルイス・クラスナーは、実はベルクと並行して、その師に当たるシェーンベルクにも協奏曲の作曲を依頼していた。1933年にナチス政権の誕生とともにアメリカへ亡命、大学で教鞭を執りながら作曲活動を続けていたシェーンベルクは意欲的にこの新作に取り組み、1934年から36年まで、ほぼ1年に1楽章ずつの時間をかけて作曲を進めていく。ヴァイオリンにもかつてないほど高度な技巧を要求して「独奏者は左手に六本の指が必要なほどだ」と語り、また完成のあかつきには「新しい種類のヴァイオリニストたちのために必須の作品を作ったと信じている」と誇ったとも伝えられている。こうして、彼のアメリカ時代の作品の中で、また12音技法を用いた作品の中でも、とりわけ優れたものの一つが生まれた。12音技法というと難解と受け取られがちだが、この協奏曲はロマン主義的な色彩も強く、「主題」や「旋律」も明確で、20世紀も末の今日の日で見れば、むしろシェーンベルクの創作が19世紀以来の伝統の延長線上で行われたものであるということが納得できる。全曲の基礎になっている12音列はa-b-es-h-e-fis-c-cis-g-as-d-fというものだが、それ自体よりも、その構成単位であるa-bないしc-cisの短2度(半音)進行が、旋律や主題の構成要素(動機)として重要である。伝統的な協奏曲と同じ3楽章構成をとる。
第1楽章 ポーコ・アレグロ、2分の2拍子、ソナタ形式を踏まえたアーチ型対称の形式。独奏ヴァイオリンが冒頭から奏でる主題が、協奏曲全体の主要主題となる。
第2楽章 アンダンテ・グラツィオーソ、4分の2拍子、ABABA形式の静謐で叙情的な音楽。
第3楽章 フィナーレ、アレグロ、4分の4拍子。軍隊風の行進曲を基調とするロンド。終盤近くのカデンツァでは第1楽章の主要主題が回想されて、全曲をまとめあげる。
作曲年代 1934年夏〜1936年9月23日
初演 1940年12月6日、ルイス・クラスナー独奏、レオポルト・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団
楽器編成 独奏ヴァイオリン、フルート3(ピッコロ持ち替え1)、オーボエ3、小クラリネット、クラリネット、バス・クラリネット、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シロフォン、グロッケンシュピール、タンバリン、ドラム、ミリタリー・ドラム、バス・ドラム、トライアングル、シンバル、タムタム、弦5部。