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もうひとつの台湾映画

台湾のドキュメンタリー映画

門間貴志

Takashi Monma

 

台湾のドキュメンタリー映画の歴史は決して長いものではない。50年に及ぶ日本統治時代と40年の国民党戒厳令時代に作られた記録映画とは、ニュース映画や教育映画であり、政府の公式見解をなぞったり政権の正当性を補完する宣伝映画であった。1945年の国民党政府の台湾接収直後から〈台湾省電影撮影場〉は、陳儀長官の台湾到着、日本軍の降伏文書署名などを映像に収め、50年以降は〈台湾省電影制片厰〉に改組し(88年には〈台湾省電影文化事業公司〉に改称)、多くのニュース映画を製作した。大陸から移ってきた〈中国電影制片厰〉は『中華民族救星』などのニュース映画を製作し、また『今日金門』(1960)、『今日台湾』(1962)などで金馬奨を受賞している。こうした時代の多くの記録映画が、ひたすら国家や民族、儒教精神に忠誠を尽くすことを礼讃するものだったことは、「台湾教育』(1962)、『台湾漁業』(1964)、『國軍運動会』(1967)、『台湾光復三十年』(1976)、『台湾と大陸の血縁(台湾與大陛的血縁)』(1977)といった題名からもただちに了解できる。

そうした60年代の台湾においてドキュメンタリー作家と呼べるのは、『劉必稼』(1966)を撮った陳耀圻(チェン・ヤオチー)であろうと言われる。70年代になるとテレビがドキュメンタリー作品を放映するようになる。中でも『麗しの台湾(芬芳寶島)』シリーズは、台湾人のアイデンティティを問い直す〈郷土文学論争〉と結びついたりしたのは特筆に値する。

1987年の戒厳令解除以降、政治的な制約がなくなり、台湾でもドキュメンタリー製作が活性化を見せるようになった。すでに86年に結成されたグループ〈緑色小組〉は、戒厳令での集会やデモにおいてビデオカメラを回し、当局の見解との矛盾をついた。彼らは戒厳令解除後も、社会運動のドキュメンタリーを製作し続けている。

董振良(トン・チェンリャン)は、金門島出身者ならではの視点で冷戦の歴史を見つめ、苦難の歴史に巻き込まれた民衆を描いて注目された。『再見金門』(1991)や『反攻歴史』(1993)などが知られるが、山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映された『奇数日は攻撃日(單打双不打)』(1995)は、金門島が二日に一度の空爆

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1・陳才根と隣人たち

2・奇数日は攻撃日

3・望 郷

4・化粧師

5・暴力の情景

 

 

 

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