えないのです。いつか何か良い英語のタイトルが思いつけば付けることもあるでしょうが、それに時間を費やす気にはなれません。
―――この作品は中央電影公司を辞職して自ら新プロダクションを設立した徐立功(★11)のプロデュース作ですが、彼は何かアドバイスをしましたか。
陳:いいえ。彼はいつも私を“アンファン・テリーブル(恐るべき子供)”だと言っています。私はけっしてコントロールされない。彼は私が何を撮っているか理解したことはない。彼はただ、金を出して黙っている。たとえば私はリポーターやジャーナリストやテレビ局が現場に来るのを拒否していた。彼はひどいと思っていたようだが、実際には何も文句は言いませんでした。「撮影はうまくいってるか?」などとは尋ねるが。一度だけ現場に来たことがあり、私は彼に写真を見せ、彼は安心したようだ。それは何の変哲もない写真だったのでなぜ彼が安心したのか不思議だったが、彼にとっては1ヵ月間の撮影の多少でもイメージをつかめたようだった。私は事前にに、脚本通りには撮らないと伝えてありました。これは正直に彼に伝えた。私は誰もだまして投資させたくはなかったから。私は、政府が助成してくれたから、この映画を撮れたのだと思っている。ビジネスマンや映画会社のおかげではなく、政府がこのプロジェクトを承認してくれたからです。1000万元(約4000万円)を得た。この映画の前に、ほかに撮りたいものがあったのだが、そっちは選ばれませんでした。1年に約90ものプロジェクトの申請があり、内10本が承認されるといった状況だから、不思議でもない。10本のうち多分7本は、密約で選ばれている。これは至極当然の理だ。70%の審査員は映画業界人なのですから。彼らが自分の仲間を助けるのは当然です。3〜4本だけが密約の外から申請されていたもの。私は助成が下りたとき非常に驚きました。私はこの業界では何も根回しなどしてなかったので。審査員のひとりの大学教授が教えてくれたのですが、私の元の脚本が良かったそうです。審査員たちは笑いころげて読んだそうです。ただ、残念なのは私に脚本通りに撮る能力がなかったことです。
―――補助金を受領して作られた映画は、完成後、審査員のチェック試写を経る必要がありますよね。彼らはそこで、元の脚本と全然違うということが分かるのですね。
陳:もしかしたら、彼らは四期分割払いの補助金の内最後の一期の支払いを拒否するかもしれません。250万元、補助金総額の1/4です。最後の支払いは、審査員が完成作品をチェックした後に行われます。もしそこで承認されなかったら、私は自分でそれまでに仮払いされていた750万元を返さなくてはなりません。補助金の契約書によると、提出した企画書通りに撮らなくてはなりません。でもそれはとても難しいことです。企画書なんてものは、助成を受けるためだけに書くものですから。
―――しかも97年度に補助金を得た映画は、98年の2月末までに完成させなければならない。
陳:そうです。これが侯孝賢のプロジェクトであれば、好きなように撮れます。委員会は、たとえスケジュールより遅れても承認するでしょう。
彼には挑戦する権利があります
彼は侯孝賢なのですから
―――侯孝賢は『海上花』という企画で補助金をもらえることになったわけですが、11月下旬の今になっても、まだクランク・インする気配はありません。
陳:もちろん。彼はシステムやルールに挑戦するからです。彼には、挑戦する権利があります。彼は侯孝賢なのですから。私の場合はもし遅れるとなれば、とりあえず偽のフィルムをチェックのために提出しなければなりません。でも偽のプリントを作るのは金がかかります。ミキシングやオプチカル変換が必要だからです。ですから助成を受けるため、どうしても2月末までに本物を完成させなければなりません。侯孝賢『海上花』を2月末に完成させる可能性は万に一つもありませんね。撮影が2月末に終わるかどうかも疑わしいと思います。今回の彼のプロジェクトは『悲情城市』以上に難しいだろうと思います。
―――セットを作らなければなりませんしね。
陳:それもありますし、100年前の上海についての映画を撮れるのかという問題です。なぜなら、われわれには正しい考証が