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には真に社会の実写と結びついているものは一本もなく、いまの台湾のテレビドラマと同じで、現実の問題から逃避していたのです。例えば私がシナリオを書き始めたとき、当時党外活動が盛り上がり、人々に自由な空間が生まれ、そこで自分の経験を小説や映画にしようとする人も現れました。しかし私たちのような厳しい環境のなかで育った人間から見れば、それは単純な成長の物語ではなく、そこに歴史的背景を持つべきなのです。つまり個人の成長の経験を通して当時の歴史的背景を表現するべきなのです。そうすると、年月がたってからそれを人々が回顧するときに、主人公の成長過程に注意することなく、その歴史の全体像、つまりは、何年から何年までの歴史に注意が向くのです。私は以前日記にこう書きました。「私の最大の野心は、映画を用いて台湾にない歴史を描き、その創作と実生活を持って台湾が失った歴史を取り戻すことだ」と。事実、数年後テレビ番組を作った目的はまさにこのことでした。私は台湾にもうすぐなろうとしているものや既になくなった情感を探しているのです。こうしたものが軽視されているように思えました。このような論点を持てる人は通常外省人です。私には台湾への帰属意識はありませんが、彼ら外省人は自分の歴史をよく知っており、教科書も文学も揃っています。しかし、台湾の記述はありません。

-教科書はそのころ昔の大陸を描いたものしかなかった。

呉念真 そうです。そして私について言えばもう一つ目的があります。それは台湾で作られた映画には台湾語を100パーセント使いたいということです。なぜなら当時はシナリオに台湾語が使えませんでした。今は台湾語も入れて書いていますが、これに陰謀をめぐらせて5パーセント10パーセント…100パーセントと増やすのです。私は本気です。冗談で言っているのではありません。とにかく書いていくことで、外省人でさえ台湾語の映画を撮るようになり、最後は中影さえも台湾語映画の許可証を手にするでしょう。『恋恋風塵』に新聞局発行の台湾語映画許可証はあったでしょうか。

-そこがよく分からないのです。以前は台湾語映画と国語映画の区別がありましたが、今はありませんね。

呉念真 今はなくなりました。最後は金馬奬も困って国語映画を国内常用言語としたでしょ。これは私にはとても重要だと思うのです。しかし100パーセントの台湾語映画はまだできていません。(訳注:一時隆盛を誇った台湾語映画は70年代に入って激減し、姿を消した。映画奨励を目的とする金馬奬は北京語映画金馬奬と明記し3分の1以上台湾語が話される映画を受け付けなかった)

-さて、話を戻して比較的個人的なことをお尋ねします。あなたはシナリオも書くし監督もする、ケーブルテレビの番組も持っているし、CMやテレビの演出もするわけですが、あなた自身は何が一番得意とお思いですか。私は台湾ではあなたのシナリオが一番好きです。あなたがシナリオを書かないのは残念と思いませんか。時間の浪費とお思いなのですか。

呉念真 今の質問はとても良い質問です。私に言えるのは、今私がしていることはどれも私には楽しくないということです。あるいは次のようにも言えます。皆さんが今見ている多方面の活躍している呉念真は、実は、もっとも挫折している姿であると。簡単に言えば、20歳から映画とつきあい始め40数歳になってやっと2本の映画を監督できたという姿なのです。大志未だ成らず。そのうえ環境も思わしくありません。現在の台湾は映画を撮るのにふさわしい時期ではありません。自分があの頃小説家から映画の世界に入ったのは、このメディアが実に大きいと思ったからです。しかもその影響力となると、小説を読む人は少なく、分かる人になるともっと少ないのですが、映画を撮ればずっと多くの人を相手にできます。私が言いたいことは台湾の歴史を描く映画に込める方が効果があったのです。しかし今では映画を見る人もいなくなりました。
もはや映画を見る人は小説を読む人とほぼ同じくらいになりましたが、だからといって小説家に戻れますか。図々しいことを言えば、もし今私が、映画の資金を集めるとしたら他の人よりも早く集められるでしょう。私の感触では補助金なしで映画が撮れると思います。補助金の交付決定以前に撮影に入れるでしょう。それはスポンサーが私の題材を気に入ったからであり、私が得るであろう補助金が目当てではないからです。補助金を収入の一部と見ずに不可欠の資本と見たとしたら映画製作は低調になるでしょう。創作がそんなことでいいのでしょうか。しかも映画は多くの資金を使うわけですから、観客がほんのわずかで、台湾全体で5,000人さえ超えることができないのなら、それは資源の浪費でしょう。
それなら2、3千万元を他のものに使えばいいのです。だから私は今の仕事の本当の目的を言いませんし、私に仕事を頼む人はそのようなことはどうでもいいのです。実のところ私は各種のメディアを利用したいと考えています。例えば私がテレビ局と関係を持ったとしても画面に出ることは目的ではありません。私にできるのは私の作品がよいことを分かってもらうこと、そうすれば私の自信にもなりますから。多くの広告会社と組んだ私に声がかかる時、私も彼らとともに創造し、最後にはいい関係をつくってきました。私は各種のメディアがひとつに結ばれれば、今後仕事をする上で大いに役立つと考えています。冗談で言っているのではありませんよ。私は今、広告の撮影をしています。アイスキャンディーの広告ですが、結果が良ければ、将来私が映画を撮るときに投資をしてもらえないかと話すのです。彼らは快諾してくれるはずです。
というのは、こうした投資は彼らにとっては大した金額ではないのです。それだから私も頼めるのです。お薦めしますよ。こういうことはもし明日機会があればやってみるべきです。現在の台湾では一人で映画を撮ることなどできるものではありません。今は多くの人が映画を撮りたいと思っていますが、撮ったからといってどうなのでしょうか。私は別にどうということはないと思います。まあ撮るときはすべてをベストな状態に保ち、しかも現場では柔軟であるべきですが、私が今していることはメディアの可能性を紡いでいくことです。歳をとると

 

 

 

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