-すると問題は何もなかったのですか。
呉念真 もちろんありましたよ。主として内部からです。内部には反対意見がありました。ベテラン監督は反発しましたが、私は時の勢いだと思いました。当時の製作部のトップだった趙班砲眛唄兇如∀型祐篤弔呂匹Δ箸いΔ海箸呂覆い隼廚辰討い燭茲Δ任后」
-いずれにせよ谷底まで落ちていたのだから、何らかの手を打つしかありませんよね。
呉念真 彼は芸術家の心情からやってみるべきだと思ったのでしょう。しかし本当の反抗は新人監督が実際に映画を撮り始めたときに起こりました。
-さきほど台湾映画には郷土文学派からのものが多いと言われましたが、あなた自身がこうした潮流に参加されたのはなぜですか。その理由はどこにありますが。どのような利点と弊害がありましたか。
呉念真 同時代の有名な小説を映画化すればインテリを映画館に呼べると思いました。たとえ彼らが呉念真とはどのような人物か知らなくても、さらに呉念真を評価しなくてもです。しかし黄春明の小説ならインテリは好きだし、小説そのものが有名ですから、私がシナリオにするのに手間がかかりません。少しの努力で大きな成果がありますからね。この方法は間違いないと思いました。好評だったニューウェーヴの第1作『光陰的故事』は小説の映画化ではありませんでしたが、続く朱天文原作の『少年』、さらに黄春明原作の『坊やの人形』なども新しい映画言語たりえたのです。しかし映画の商業性から見て、小説を映画化しさえすれば金が儲かると思われたため、多くの小説が次々と映画化されました。シナリオは誰が書くかとか監督は誰かなどはかまわず、しかも題材も多くは性とか雑多なものをめぐるものばかりで結局はひどいものになってしまいました。それについては私も一文を書き、その悲哀を明らかにしたことがあります。こうした映画が市場を占拠したら本当にひどいことになると思いました。ですからひとことで言えば、その利点とは小説の名声をかりて観客をすばやく映画館に呼べたこと、また弊害は別な一群の商業主義的映画が生れたこと、それは類似したパターンがあまりに多く、玉石混淆の作品を造りだしたことです。
-そのころ昔からの映画評論家のなかには、ニューウェーヴとは人間の成長を描く映画だと評論し、2つをイコールで結ぼうとした人がいました。あなたはこの定義を正しいと思いますか。
呉念真 他の人の言う意味は分かりませんね。しかし私のような立場から言えば、成長ということ自体を真剣に考えるべきだと思います。ニューウェーヴ誕生以前、台湾映画