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たのか。それはちょうど、敗戦から1950年代の黄金時代の黒澤明や木下恵介や今井正の果たした役割に相当するものだったのではないか。正しく『素晴らしき日曜日』や『喜びも悲しみも幾歳月』や『青い山脈』などの敗戦後日本映画こそ健康写実と呼ばれてしかるべきものだったのだということに気づく。日本映画のそれらの作品は、いわゆる戦後民主主義の理想の啓蒙的側面を強く持ちながら、それだけでなく、いや、それだからこそ、当時の時代の気風を生き生きと写しとっているという意味において立派な写実的秀作でもあった。李行作品も、人情風俗の描写の緻密さと、「希望を持ってがんばろう!」という感情のリアリティにおいて立派に写実だろう。

こういう意味での健康写実なら、1940年代後半、即ち日本が中国から敗退し、上海の中国映画界が自由をとりもどしてから1949年に中華人民共和国が発足するまでの束の間の中国映画にこそ模範的に開花した流派である。そしてその時期、李行は10代後半でそれらを熱心に見ていた。彼の健康写実は中央電影の設定した路線である以前に、1940年代後半の黄金時代の中国映画の直系だったと見るべきかもしれない。

李行にはもうひとつの顔がある。1956年の『唖女情深』やとくに1971年の『秋決』に代表される本土を舞台にした様式化された時代ものであり、儒教的な主題のいっそう濃い作品系列である。李行自身は『秋決』こそ最も作家的情熱のこもった代表作と自負しているようである。確かにこれらは端正で力のこもった本土の伝統的文化への思慕の念のあふるる作品であるが、私には同時代の台湾に希望を見出そうとする健康写実路線のほうが興味深い。健康写実はやがて、その時代の現実の否定面も大胆に掘り下げる若い世代のニューウェーヴによってとって代わられることになるのだが、これはちょうど、木下恵介や今井正の時代のあとに今村昌平や大島渚の時代が来たことに相当する歴史的な流れだと言っていい。台湾のニューウェーヴがじつにすばらしいものであることは言うまでもないが、だからといってその前の民衆的な元気に満ち満ちた力作群を忘れてはならない。

 

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