日本財団 図書館


 

台湾映画と日本

佐藤 忠男

映画評論家

 

1 台湾映画の中の日本語

 

台湾映画は日本人にとって最も身近かに感じられる外国映画である。

早い話、台湾映画ぐらい、日本語がしばしば話される外国映画は他にない。

 

011-1.gif

 

萬仁の『超級大国民』は、この日本語世代を主人公に据えて描かれた、中国復帰後の台湾の政治的な悲劇である。『悲情城市』では1947年の国民党による台湾知識層への大弾圧が描かれたが、ひきつづき1950年代にも国民党政府は左傾化していると見られる台湾の知識層を弾圧した。この白色テロと呼ばれる一連の事件の犠牲者たちのうち、生き残って長期の獄中生活から帰ってきた人物が、処刑された仲間の墓を苦労して捜し出し、その前にぬかづいて、かつて獄中の拷問で彼の名をもらしてしまったことを痛恨こめてわびる。その言葉がなんと、日本語の「すみません!」なのである。このありふれた日本語が、こんなにも痛切な響きをもって発せられるのを、私は日本映画でも滅多に聞いたことがない。日本語を愛する者は、日本語のセリフが最も深い情感をもって発音された例としてこの映画を見るといい。

しかし、さて、なぜ彼はこのクライマックスの最も印象的なセリフを日本語で言ったのだろうか。彼は左翼文献の読書会に出席して逮捕されたのである。当時の左派は反日派と考えるのが自然で、少なくとも親日派とは考えにくい。ただ大学教育まで日本語で受けた知識層同士として日本語で語りかけるほうが自然だったと単純に解釈していいのだと思うが、いちばん大事なセリフを母語で言わないということの悲劇性が胸を打つ。

この映画で主人公が昔の仲間を訪ねて台湾の歴史を語り合う印象的な場面がある。台湾人の大多数は数百年前以来大陸から移民してきた漢民族の子孫だが、この島はある時期にはオランダやスペインに支配され、近くは半世紀に及ぶ日本の統治を経験した。誰がこの島で勝者になったかによって自分たちの国籍は変わる。日本が敗退して中国に復帰したが、国民党のやり方が弾圧的だったために日本時代のほうがまだマシだったと考える者もいる。自分たちはいったい何者なのか。アイデンティティがあいまいで台湾人であることに誇りが持てないようでは情けない。だいたいそんな意味の、会話というよりはこもごもの述懐である。日本の統治が良かったというのではない。日本語をすぐれた言語だと思うから日本語を使うのでもない。たぶん彼は、まだ台湾人であることにも中国人であることにも十分な自信や誇りが持てないから、とうあえず台湾語でも北京語でもなく日本語で「すみません!」と言ったのだろう。その苦渋の言葉選びの辛さが日本人には分る。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION