そういう形の発想の転換をしてくれないと、専門職員はずっと学校社会のことを引きずっているんですよ。結果的には、本人は意識していませんけれども、踏ん反り返っちゃう。常に学校の発想で施設を見ちゃうんですよ。せっかく学校を離れて施設に来たのが、まだ学校を引きずっております。これでいいんでしょうか。
今5点ほど私が具体的な事例を申し上げましたが、それをまとめて言うならば、例えは悪いんですけれども、釣り掘で魚を釣るのが学校、太平洋で魚を釣るのが社会教育です。例えば釣り堀に行きますと、魚がそこにいるのはわかっているんですよ。ということは、学校に行けば子供は来てくれます。朝行ったら、子供は「おはようございます」と言ってくれるんですよ。こんな楽なことはないですよ。ぜひ専門職員に言ってほしい。皆さん、今までいかに楽な世界にいたか。朝行ったら、子供は待っていてくれるんですよ。最近ちょっと不登校とかで反乱していますけれども、まず大体来てくれますよ。それで、何時間口が学習ニーズが高いかということで彼らは時間割を決めます。1時間目、2時間目は元気があり主要教科を持ってきて、5時間目は眠たいから体育とか音楽を持ってくるとかします。だから、教師の力量というのは、45分間、50分間、いかに学習に集中させるかというのが教師の腕なんです。これは本当に楽ですよ。
社会教育は太平洋なんです。どこに魚がいるかわからない。昔は経験と勘で見たんですよ。きょうは「坊主」だったと帰ってきますよね。だめなんです。今は魚群探知機という科学的なアプローチがあるんですよ。どこに学習者がいるか。その学習者はどういうニーズを持っているかということを科学的なアプローチで、アンケートでもいいし、インタビューでもいいし、とにかく見てフォローアップする。次に、どうしたら来ていただけるか、どういう広報がいいんだろうか、出してみます。来ていただいて、皆さんが興味関心を持っている学習プログラムをつくらなきゃいけない。それで、ああ、よかったな。次に、帰ってよければまた来てくれるんですよ。リピートしてくれる。そういうことがなかなかできていない。そういうことをぜひ4月の頭にディスカッションしてほしい。
よく言いますが、学校から見えた先生が、勉強に参りました。前の千葉県の社会教育課長が言っていました。勉強は困るんだ。仕事をしてほしい。この違いはわかりますか。勉強しに参りました。勉強したら困る。勉強するならば授業料を払ってください。
どうも日本の文化は、勉強しに参りましたと言うと、皆さん、本当にいい感じ。勉強したらだめなんです。仕事をする。勉強するときは授業料を払う。そういう専門職員の発想の切りかえをやってほしいです。とにかくそういうディスカッションを施設でやってみる。そういうカルチャーショックをみんな受けているんですよ。3年間黙って台風が過ぎるのを待っているんですよ。3年後、ああ、年季が明けた。よかったね。いいんです。という人がけっこういます。
要するに言いたいことは、施設の職員をやることによって、学校教育の見方が変わってほしいですね。
そこで、今回の答申のキーワードは3つございますね。地域の問題。最適空間というのは何ぞや。施設の個性とは何ぞや。この3つが勘どころですよね。
そこで皆さん、地域というのをどういう形で理解されていますか。ご自分なりの地域の、かたい言葉で言えば概念規定をしていますか。もう教育と同じように、地域はみんな取り上げ方が違うんですね。専門職員が考えた地域と利用者が考えた地域のずれがありますよね。
私は、地域というのは、昔で言うと、火の見やぐらがありました。火の見やぐらで半鐘をたたきますよね。火事だ、火事だ、カンカンカン。かつてはこの音が聞こえる範囲を農村社会では地域と言ったんです。今で言えば、有線放送を流した場合に、それが聞こえる範囲を地域と考えるとよいでしょう。そうすると各青年の家の有線放送が聞ける範囲の地域はどこなんだろうか。これが客観的な空間ですよね。
じゃ、農村でなくて都市部ではどうでしょうか。都市部の場合は江戸時代の下町があります。火消し組と申します。8代将軍吉宗のときに、大岡越前がつくりましたよね。あの火消し組のイ組とかロ組とかハ組とは、組がございましたね。都市部では、その組単位が地域だと言われています。