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うモデルである。そしてこのモデルに基づいた動きはすでに全国各地で展開されている。

この新しい流れは、医療に限ったものではなく、古くは住民運動における「市民発議」として知られている。それが「自己決定権」としてターミナルケアにも浸透してきたことは山崎章郎『病院で死ぬということ』(文春文庫)のベストセラーからも明かだろう。この動きは全国各地のセルフヘルプグループの活発な活動によっても証明される。これまで差別を恐れて、自分の存在を世間から隠して生きてきた当事者たちが、ようやく声を上げ始めた。これはまさに革命的な事件だということができる。こうして、当事者である障害をもった仲間がともに支えあうセルフヘルプグループが全国で次々と生まれ、互いの体験を交換することによって、専門家によっては決して与えられることのなかった自身と勇気とが当事者の間に生まれている。

問題を抱えた当事者こそ、最初にその問題を扱う権利があるのであって、その問題とは直接関係のない専門家ではない。この当事者優先の「市民発議」の原理は、官僚制と専門家の支配する産業社会においては、長い間無視されてきた。そして一度も実際の問題に触れたこともなく、実際の現場(フィールド)に行ったこともない専門家や研究者たちが、机上の知識だけで当事者の意見を圧殺してきた。しかしながら、隔離収容型の福祉社会を批判することによってわかってきたことは、専門家支配は民主主義を脅かすということである。人生にとって重大な決定を一握りの専門家にまかせるのではなく、自分の人生の決定は自分自身によって行われること。これが自然なことではないだろうか?この意味で「ノーマライゼーション」は、これまで人類が歩もうとした管理社会とは根本的に異なる社会をめざしている。

私たちが専門家に依存する態度を捨てることは、障害者に対して隔離収容型の反応をやめることである。つまり、障害があって「援助を必要とすること」は、何か罰せられたり、社会から責められることでは決してない。それどころか、援助を必要とする人々がいれば、援助を提供する社会を作ること。これはあたりまえのことだろう。そして、障害者を日常生活から排除して、専門施設へ隔離してきた方向とまったく反対の行動である。現在、障害者の生活の場を地域へもどすために、作業所や共同住居などが構想されているが、それを第二の全制的施設としてはならないだろう。そのためにも、しろうとの復権は今こそもっともっと唱えられるべきである。

これは専門家をすべて否定することにはつながらない。むしろ障害をもった当事者が中心であることを確認し、制度的にもそれを保障しなければならないということである。障害を社会的に特殊化し、隔離収容するのではなく、障害を肯定し、それとともに生きること。これが出発点であり到達点である。このことは精神障害に対する恐怖心を吹き払い、精神障害者の隔離・収容の流れを断ち切っていくだろう。精神障害者である当事者が中心になり、そのまわりに彼らを支援するふつうの人々が位置し、最後に専門家がくる、しろうと中心の社会は、医者などの医療専門家によって管理される社会よりも自立した社会ではないだろうか。

 

山口県立大学助教授 山田富秋先生の略歴

 

1955年 北海道生まれ

1983年 東北に大学大学院博士課程修了(社会学専攻)

1983年 山口女子大学文学部教員

1994年 山口県立大学社会福祉学部へ転学部、現在に至る。

 

専攻はエスノメソドロジーというアメリカ社会学の一潮流と精神医療の社会学。1985年から半年間琉球大学医学部保健学科精神衛生学教室にて研修。

沖縄の私立精神病院で看護助手として3か月ほど病院観察を行う。

1993毎から、全家運保健福祉研究所の全国精神病院の実態調査に参加。

1993年から2度イタリアの精神医療の現状について調査を行う。

 

 

 

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