ハ. 或る幅に対し全部に一様に植え込んだ樹帯の防火力は、中に空地を有し、二列に密植したものに劣る。
ニ. 並木の内又は外に一帯の空地があるとき防火力大。殊に火炎と接する側に空地があるとき効果は大きい。
(6) 樹木の高さと建築物の関係
焼け残りの木造家屋は平屋が多い。四方樹林に囲まれても焼けたのは、樹木を抜いて高い建物であった場合が多い。火炎は地表1mより下には来ない。
イ. 樹木より高い建物は焼失。
ロ. 高い木造建築は焼失、低い門、小屋は残存。
ハ. ヒノキ、イヌガヤ 1.5mまで黄変、以下は緑色。地表の花類はそのまま生育。
ニ. 上木変色するも、下車青々としている例あり。
4)空地の面としての効果
同報告から関東大震災での避難地の安全性について整理してみると、安全であったものは、面積が大きかった、池があったと云う理由によるほか、樹木が火を防いだことによるものが多いと云うことに注目したい。
火流の方向と避難地の安全性との関係を見ると、火流に正対した場合は最も条件が悪く危険性が高い。しかるに、深川岩崎邸、芝公園、上野公園などはその豊富な植え込み等のため火流を正面に受け止めながらも、多くの人命を守り、立派に避難地としての役を果たしたのである。これは樹木の防火効果のうち「面としての効果」である。
樹木の存在は避難地の安全性確保に大きく寄与しているわけで、これは深川岩崎邸(現、清澄公園)と本所旧陸軍被服廠跡(現、横網町公園ほか)との明暗によってもその一端を推察することが出来る。
深川岩崎邸は、周囲を高さ2m程の煉瓦塀で囲まれ、その内部は高さ3m、幅7mの土塊であった。土塊上はスダジイ、タブノキなどの常緑広葉樹を主体とした植え込みであり、また邸内はカエデ、クロマツなどの樹林で囲まれていた。更に、庭の中央には池があった。
池の中島のクロマツは葉先が変色する程受熱したが、瓦葺の木造家屋は無事であった。屋敷の周囲のネダジイは、邸外の焼失家屋に近かった東側のものは黒焦げ。西側は、焼失家屋から12m離れており、葉の対熱面は変色したが葉裏は緑色を保っていたという。
このように、岩崎邸では火流に正面から攻められながらも、邸内の樹林と池、周囲の煉瓦塀、土堤そしてその上の植え込みなどにより、安全が確保され、2万余人の命を助けたのである。面積は、約4haであるが、一部焼失部分を除くと2.9ha、このうち池が0.7ha。従って、凡そ1平方米に1人の割合で避難者を収容したことになる。
一方、本所旧陸軍被服廠跡は、西をコンクリートの建物、南を電車通り、東を郵便局、北