た。その結果、日本において、海軍で最高の資質を有する人々を集めてられ、そこで計画された組織が、1954年に海上自衛隊となったのである。
野村提督もバーク提督も米国海軍と海上自衛隊が協力し合う事こそが、日米両国の国益にかなうものだと信じたのである。
この両提督の努力がどのような成果を後日、収めたかは、ここで取り上げる2つ目の記事、「ネイバル・インスティチュート・プロシーディングス」(Naval Institute Proceedings 1996年6月号)掲載記事に詳しい。この記事は、私と阿川尚之氏との共同執筆であり、「太平洋の友情」(Pacific Friendship)がその表題である。
もし、米国海軍と海上自衛隊の間に、強力な協力体制が今後も継続されるなら、日米両国は将来決して再び戦いを交える事はないであろうと、この論文は結論している。とりわけ、海上自衛隊の創設初期からバーク提督の死までの期間に存在した、あの信じられない様な協力体制が維持されれば、日米は二度と戦うことはないであろう。
更にこのような協力体制が継続される事で、ロシア、中国などの国々の将来如何に関わらず世界的な海上の自由は、継続されるものであろう。
かって、バーク提督は同僚に「常に軍人としての誇りを保ち、常に活気のある海軍を維持する情熱を後輩に伝えよ」と語った。また、「一生懸命考え、新しい考えを発見し、知識を進歩させよ。そのために討論や活動の場で失敗を恐れてはならない。自由な心をもって切磋琢磨できる積極的な姿勢を伝えよ」と語った。
バーク提督はここに紹介した記事を「知識を進歩させ、自由な心で切磋琢磨する」ものとして喜んで下さるであろう。この論文を読まれる方々も同じ様に感じて下さる事を願う。
(以上)