の国境に対する概念は、第2次大戦後に至っても不明確で、1949年に中華人民共和国が成立し、新中国承認をめぐって国境が問題となると、中国はアヘン戦争以後に失った領域を国境再検討の原点とすると回答したが、さらに1952年には、中学校の教科書『近代中国小歴』に、かって朝貢貿易を行っていた朝鮮半島、沖縄、台湾、シンガポール、マレー半島、ベトナム、タイ、ビルマ、ネパール、チベット、蒙古などを中国領土とし、これらの国々が「旧民主主義時代(1840-1919年)に帝国主義によって奪われた中国の領土」と学校で教え(16)、「チベットは中華人民共和国の神聖な領土の一部である(17)」と武力を用いて併合した。
現在の中国は経済建設が国家の中心課題であり、諸外国から円滑な資金や技術を導入するためにも、極端な行動を当分は控えるであろう。しかし、問題は中国海軍が南はシンガポール周辺から東はフィリピン東方海域、北は対馬海峡で囲まれた海域の防衛を主張し、近海防衛戦略を展開していることである。
C. 海洋生存権思想
さらに懸念されるのは中国が、ヒットラーがポーランドやオーストリアの併合を正当化した根拠となった、「国家は生きた組織体であり、必要なエネルギーを与え続けなければ死滅する。国家が生存発展に必要な資源を支配下に入れるのは成長する国家の正当な権利である」という、ラッツェルやハウスフォファーの生存圏思想に極めて類似した理論を展開し、それに従って軍事力を整備し運用していることである。すなわち、1987年4月3日の『解放軍報』に徐光裕(Xu Gung-Yu)の「合理的な3次元的戦略国境の追求(18)」という論文が掲載されたが、この論文の問題点は国境は力関係によって変動するものであると、次に示す通り、その主張がヒトラー・ドイツの生存圏思想に極めて類似していることである。
「戦略国境は国家と民族の生存空間であり、戦略国境を追求することは国家の安全