兵力整備を進め、「西へ西へ」と進んできた。視点を変えればアメリカ海軍の歴史は、「西へ西へ」と市場を求めた「ヘィ・ドクトリン」という錦の御旗を掲げた海上開拓史であり、インデアンを征服し西岸に到着したアメリカが太平洋を西進し、遭遇したのがアパッチならぬ日本海軍であり、この「西へ西へ」の潮流が激突したのが太平洋戦争であった。リムランドのアパッチ日本海軍が消えると、モンロー主義(Monroe Doctrine)は中国からアジアのあらゆるリムランドのアメリカの同盟国にまで拡大された。そして、対日戦争のために強襲上陸能力を向上させた海兵隊、太平洋を横断するために開発された多種多様な海上補給支援艦艇、日本海軍が開戦劈頭に示した空母機動部隊からなる航空打撃力を統合した第7艦隊が誕生させた。そして、第7艦隊はアメリカの平和を維持するために、「平和の即応戦力(13)」をモットーに、朝鮮戦争、ベトナム戦争や湾岸戦争などのホットな戦争から、プエブロ(Pueblo)事件、金門島砲撃事件やラオス介入などの低次元の危機にいたるまで、常に緊迫したアジアや中近東のリムランドに派遣され、湾岸戦争を経てここにパックス・アメリカーナの平和-海洋国家による平和(覇権)を完成させたのであった(14)。
5 地政学から見た日本の戦略
スパイクマンの理論は「ハートラが一国に支配されるのを防ぐには、リムランド地帯の国が協力して、ハートランドの勢力拡張を防ぐ」という、ソ連封じ込め政策を念頭に展開したのであり、スパークスマンの理論は東西対立の冷戦構造の歴史的産物であった。冷戦下では日米が民主主義を擁護するという日米共通の価値観のほかに、日本はソ連のシーパワーを阻止するという対ソ海軍戦略上から極めて重要であり、アメリカは地政学的にも日本を必要としていた。しかし、冷戦構造が崩壊し中国が経済大国、軍事大国として登場するなど情勢は大きく変わった。中国、特に中国市場への傾斜が進むアメリカ、軍事力を日増しに増強しつつある中国、このような情勢の変化に米中の間に存在する日本は、今後いかなる選択をすべきであろうか。日本は、今後どのような国家戦略を構築すべきであろうか。何を基準に新しい国家戦略を構築すべきであろうか。以下、この問題を中国を中心として地政学と歴史的観点から考えて見たい。
(1)大陸国家と海洋国家の差異(15)
日本の戦略を考察するに先立ち、まず、アメリカに代表される海洋国家の社会シス