日本財団 図書館


ーの警句の第1段を達成し、第2段の世界島(World Island)の支配に乗り出し、ユーラシアのリムランド(Rimland)はアメリカの強力な支援がなければソ連の手に入りつつあった。その時に出現したのがスパイクマンの理論であり、それを具体化したのが「ソ連封じ込め政策」であった。その後、ソ連は一時的ではあったがシーパワーを利用した"Show the Flag"政策や、"Gun Boat Diplomacy"によって国際政治上に大きな成果を収め、リムランドにある中国やアフガニスタン、さらにはアフリカまで影響を及ぼすに至った。一方、海洋超大国アメリカは力を失い、海洋一国支配の歴史は幕が閉じられたかに見えた。しかし、大陸国家ソ連は安価大量の物資を運び得る海洋国家、経済的には有無相通ずる国際分業と国際貿易による相互依存関係で結び付く、アメリカを中心とした日本やNATOのシーパワーに対抗し、国家経済を無視して東西両洋に海軍力を増強したため、国家経済を破綻させ、国家を崩壊させ、マハンの理論の勝利が確定した。が、しかし、アメリカがベトナムやフィリピンから撤退すると、この隙間を突いて内側三日月帯の中国が海軍力を増強し、1974年には西沙群島を、1988年には南沙群島をベトナムから武力を用いて奪取するなど南進を開始した。

 

4 太平洋地政学とアメリ力海軍

次に海洋地政学について見てみよう。マハンの教議に従い、門戸開放を旗印に中国市場を目指して、太平洋を横断するアメリカ海軍にとり、第1次世界大戦で南洋群島が日本の委任統治領となったことは大きな打撃であった。フィリピンへの中継基地を失ったアメリカ海軍は、対策として多数の補給艦、給油艦、工作艦、給弾艦、病院船や移動浮きドックを艦隊とともに前進させる移動基地構想を案出した。しかし、問題は膨大な補給量で、武器の多様化・近代化が補給量を増大させ、1925年1月に太平洋艦隊が作成した対日戦争計画によれば、戦艦などの大型戦闘艦25隻、その他の戦闘艦艇303隻、兵員輸送船39隻、輸送船128隻、タンカー・石炭輸送船など248隻など総計551隻が対日渡洋作戦には必要であった(8)。さらに問題は、これらの武器弾薬や物資の移載は洋上では困難なため、太平洋に散在する珊瑚礁を利用しなければならなかったが、これらはいずれも日本の統治下にあった。この問題の解決策として海兵隊は、パラオ、トラック、ペリリューなど艦隊の中継基地となる島嶼を逐次占領しつつ太平洋を横断するミクロネシア前進基地構想を立案した(9)。

ガリポリ上陸作戦の失敗、大戦後の民族自決主義の高まりや、植民地の独立などの影響を受け、海外基地や居留民保護を任務とする海兵隊の存続が問題となり、兵力削

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION