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あらゆる既存の枠組みを修正し、補完する必要があることを認識することは理に適ったことなのである。これを実行する具体的な方法は、同地域の沿岸諸国が全て参加できる多国間枠組の策定である。現在までのところ、こうした多国間の地域的枠組についての合意はできていない。沿岸諸国家間の複雑な政治関係がその大きな原因である。しかし、同地域の長年にわたる冷戦期の政治関係が雪解けを迎えれば、地域協力の機会の窓は必ずや開かれるであろう。

 

非生物資源をめぐる紛争

 

背景

 

1969年に国連アジア極東経済委員会(ECCAFE)よって東シナ海に石油が存在する可能性が示唆されて以来、既に20年以上が過ぎた。それ以来この報告書は有名であるが、同報告書は発表直後に石油不足の沿岸諸国の間にかなりの宴気分を巻き起こすこととなり、東シナ海の苦い紛争を引き起こしたのである。それ以来、同海域は何人の介入も受けていないのである。しかし、1974年の日韓共同開発協定を除いて、沖合境界紛争の解決は全く進展しておらず、したがってこの地域の石油探査活動も行なわれてこなかったのである。長年の間この地域の主張の争いが小康状態であり、悪化もしなければ解決もされてこなかったことは驚くべきことである。

 

1970年初頭、沿岸諸国の東シナ海の資源に関する立場は完全に二分されていた。この問題は本質的には大陸境界線画定の問題である。韓国、台湾、中国が所謂自然延長の原則に依拠していたのに対し、日本は等距離の原則に従っていたのである。東シナ海周辺の地理に関するこれら諸国の異なる解釈の主要なポイントは、九州と琉球諸島のすぐ西側に位置している沖縄トラフである。このトラフは深さは、最南端部で最大約2717メートルであるが、九州で800メートルと急に浅くなる。韓国、台湾、中国は日本領の自然延長はこのトラフで終わるので、このトラフがこれら3国と日本の自然境界を成すものであると主張したきた。これに対し、日本はこのような効果が沖縄トラフに及ぶことを認めることを拒否し、等距離原則の適用を主張してきたのである。この鋭い対立は、日韓共同開発協定によって少なくとも部分的には解決された。しかし、同条約はすぐさま中国の反対を受けた。なぜなら、中国はこれを自国に対する主権侵害と認識したからである。

 

海底紛争の法的展開の影響

 

1970年代の大陸棚の境界線画定の原理・原則は、明らかにこれら3国の法的立場を支持するものであった。1974年の韓日協定によって確立された共同開発水域は、日韓の間に想定されている中間ラインの日本側に完全に位置しており、同条約は文脈通りに理解されるべきである。しかし、このような原理・原則は、過去20年の間に

 

 

 

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