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は留学生を受け入れ、46年までに約1000名を訓練し、46年12月にはコルベット艦(英国名Petunia中国名・伏波)を、48年5月には軽巡洋艦(英国名Aurora、中国名・重慶)と駆逐艦(英国名Mendip中国名・霊甫)を供与し、中国海軍はこれらの援助を受けて、1948年末には428隻(9万4000トン)、人員4万に拡張された。

 

4人民解放軍海軍の誕生と発展

東北地域を平定した東北野戦軍は、1948年11月に営口を攻略し、同港にあった国府軍の小型艦艇28隻(約3000トン)を接収し、人民解放軍東北区海軍(後の東北人民海軍)を創設した。その後、同年12月には塘沽、1949年1月には天津を占領し、各種艦艇を捕獲して人民解放軍華北区海軍(のちの華北人民海軍)を創設、4月23日には揚子江渡河を前にして華東区海軍(1955年に東海艦隊と改称)、10月には広州を占領し中南区海軍(1955年に南海艦隊と改称)などの局地的海軍を編成したが、1950年9月には各地の局地的海軍を統一した人民解放軍海軍部を創設し、ここに統一的人民解放軍一海軍(People’s Liberation Army-Navy)が誕生した(以後、中国海軍と呼称する)。

創設当時の中国海軍は、国府海軍から接収した艦艇183隻(4万3268トン)と、商船を改造したものなど48隻(2万5470トン)であったが、これら艦艇は製造国がアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリア、日本など多岐にわたり、中には清朝が日本から購入した楚クラスの砲艦などの老朽艦もあり、火砲の種類は30種、機器に至っては355種に達する多種雑多な構成であった。その後、1951年に海兵隊が、1952年に海軍航空隊が、54年7月に中国海軍最初の駆逐艦部隊が、55年には駆潜艇部隊が青島と船山に新編され、兵員も19万に達した。しかし、問題は海軍要員の不足で、これら兵員は大隊単位で陸軍から11万4000人、空軍から6000人が海軍に転換され、一般人の技術者や知識人など3万人が急遽海軍に徴兵された。しかし、問題は養成に10年は必要な艦艇要員で、その主力は国府軍から寝返った4000名に依存するという奇妙は海軍再建であった。

1950年2月に中ソ友好同盟条約が締結されると、中国海軍は戦闘艦艇205隻(5万5300トン)、各種航空機420機、沿岸砲36ヶ中隊分の購入を計画し、ソ連との交渉を開始したが、朝鮮戦争の発生による軍事費の増額、経済的困窮などから支払代金が調達できず協定は成立しなかった。しかし、1952年に成立した協定により、1953年からリガ(Riga)型護衛艦、W(Whisky)型潜水艦、T-43型掃海艇、クロンシュタット(Kronstadt)

 

 

 

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