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これは様々な国際法をいとも簡単に無視した行為である。特に1988年のローマ国際法は、海上航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約であり、条約加盟国である中国は裁判権を行使出来たし、条約には行使すべきであったその権利の手続きついてが特別に説明されている。

 

1997年3月14日IMBはいろいろなルートから、PSBがその地方で船荷を売る事にしたとの情報を得た。この並外れた処置はインド人の船荷の持ち主にかまわずに計画された。更にまたわかった事は、その地域のPBSの係官等は味方であるその地方のバイヤーに市場価格に比べ破格の値で売る事にしていると言う事であった。インド人の船荷の持ち主の代理人がこの不法セールを止めようと再び北海に駆けつけた。北京のインド大使館とIMBが外交力を使って働きかけた結果、少なくてもその時点では計画された船荷のセールは阻止された。船主の受けた損害と船荷の利子による損害は何百万ドルにもなった。

 

1996年9月にアナ シエラ号の乗っ取りを企てた犯人一味は1996年8月に再び犯行を犯した。一味は船主に新しい乗組員をいれる事を承諾させた後、不法に船荷を陸揚げさせるつもりでサムドラ サマラット号と言う名前の船を中国の南にあるフェンチェンへと方向を変更させて航行させた。この船はケルチック レインジャー号と名前を変更された。

 

IMBがこの船舶が港に入るところを見つけて、その偽の名前と書類を証拠として突きつけて見せたにも関わらず、フェンチェン地方当局はそれを犯罪として扱う事を拒否した。

 

それどころか、彼らはグアンゾーにある海事裁判所の判事が船を抑留する事を拒んだために、翌日にはその船は書類の全部と23人のインド人乗組員のパスポートをおいて出港してしまった。ヴェトナムが目的地であった250万ドル分の積み荷は船と共に消えてしまった。不正な地方官が船長に密告して船の身分確認をせずに出港を許した事に間違いはない。

 

3件目は正式乗っ取りである。ヒー ミエコ号の船主は1995年6月23日に中国の税関の汽艇に似た船によってカンボジア沖で船を乗っ取られ、そこから千マイルの中国のグアンドン省シャンウェイへ行かされたと届け出た。付き添われてシャンウェイに到着した後、そこの係官が船を中国に巻きタバコを密輸入しようとしたと言う罪で咎めた。これによりヒー ミエコ号は抑留され、積み荷は差し押さえられた。

 

ヒー ミエコ号の苦境と海路が世界中に報道されたにも関わらず、一隻の船も助けにいかなかった。中国政府はその税関の汽艇が正式な任務を携えた中国政府のものである事を否定した。香港の英国海軍士官が本国のホワイトホールからの必死の嘆願に、香港当局を回避して手を打とうとしたけれども、その船を取り返す事は出来なかった。

 

 

 

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