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・1986年アントアネット号がマニラ湾で入港税未払いによって逮捕されている間に失踪した。

 

・1987年更にもう3隻の船舶がフィリッピンで失踪した。クレサット1号とメイヨン号はマニラ湾に置かれている間に、アイリーン号はキャビット海岸沖を航行の後失踪した。

 

・1988年5月26日、積荷船ネゴシエーター号がマニラのスービック湾の投錨地から6人の乗組員と共に失踪した。

 

・1988年9月13日リベリア船シルバーメッド号がマニラ湾で厳重に武装した8人の賊に船舶を乗っ取られ、1989年6月25日には4千5百トンの鋼鉄を積んだイスラルソン号がフィリッピンのイリガン沖で乗っ取られた。

 

・1990年3月14日レイテ島イサベルにあるフィリッピン精錬合同会社の突堤で、6182grtのイースタン ギャラクシー号が980万ドル分の陰極線用銅資材を積み込み中に税関検閲官を装った3人の賊に乗り込まれた。乗組員の1人がこれらの賊が怪しげな様子で、動き回っているのを見つけた。突き止められた賊はその乗組員に銃を突きつけながら、船の梯子を下り、待っていたモーターボートへ逃げた。後には38口径の連発銃と20発分の弾薬、犯行用の道具、幽霊船登記名ジンボの書類が残されていた。

 

これら3隻の船舶は極東で不法に廃棄処分にされるために乗っ取られたのではないかと言う人もいたが、これらは幽霊船運営に使われるために乗っ取られたという証拠があった。 例えば、名前が変えられてシーレックス号になった、台湾向けの藤を積んでいたシルバーメッド号は、1988年10月に、またナイジェル号と名前が変えられたイスラ ルソン号は1989年6月にそれぞれ乗っ取りを受けたが、この2隻共台湾、中国、韓国、日本の間で商売を続けた。

 

IMBが入手した情報によれば、船舶はフィリッピンで30万ドルで注文を受けて乗っ取られ、3日以内に注文先に届けられるのが可能であった。中には乗っ取りや盗みがシンジケートと不正直な船主とで計画されて船体保険をかけた人達をだます事もある。

 

フィリッピン当局による1992年のエミリオ シャンコ船長の逮捕はこの国の乗っ取り事件に終止符を打った。シャンコ船長はすでに述べたシルバーメンド号を含む数々の乗っ取り事件に協力的であった。彼は逮捕されたが保釈中失踪し、容疑者不在裁判で禁固18年の刑を受けた。しかし、ついにシャンコ船長の致命的1撃が1991年3月フィッリピン ナショナルオーシャン会社所有のタンカー、タバンゴ号の乗っ取りの時に来た。このタンカーは幽霊船として

 

 

 

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