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・法執行機関側に調査の不徹底や調査を嫌がる姿勢がみられる。被害届け後、対応が遅かったり、あるいは被害者にほとんど手を貸さない。

 

・停泊中に被害を受ける船舶もある。昔は海賊の被害を避けるために、海賊の出没領域外である沖合い40マイルほどの所で停泊するのが望ましいとされていた。

 

アジア型海賊行為と上記のような犯行形式における唯一の類似点は、賊は小さな船でやってきて、驚くほどの機敏さで船の高い壁を登る。乗船後に類似点はない。後者は往々にして必要もなく暴力をふるい、取れるもの全てを略奪する。もし船舶の装備が盗まれたら、その船の安全は危うくなるのだ。

 

第3章3節  第3番目に船舶やその乗組員に対する様々なタイプの暴力行為の延長というべきものもある。1980年代後半以来、極東では船舶そのものが盗まれてしまう例が何件か見られた。それを海賊行為と呼ぶか、乗っ取りと呼ぶかは学術上の問題であるが、被害者に取っては結果は同じ事なのだ。たいていの船は空ではないので、何を積んでいるかはそれ程問題ではないのだが、目的はその船舶を別の船舶に仕立てて、幽霊船にする事によって利用することにある。こうした幽霊船は極東地区で船荷詐欺をするのに使われる。もしその船にまだ乗組員がいれば、賊に取っては「必要以上の収穫」を意味し、その乗組員はボートに乗せられて海上に流されてしまうか、これまで少なくても1回はあったが、海に投げ込まれてしまうのだ。これはイスラ ルソン号で起こったケースで、船は南フィリッピン沖で海賊の一味に拿捕された。この事件では海賊の何人かは捕まり、裁判で禁固18年の刑を受けた。

 

第3章4節  4番目のタイプとして考えられるのは軍事的、政治的性格を帯びるタイプである。こういうタイプの中でも特に注目に値するのはテロリストによって襲撃を受けた客船アキレ ラウロ号で、1985年10月7日に東地中海で起きた。この事件については第8章で詳しく述べるが、これが国際海事機関(IMO)によって1988年ローマで採択された「シージャック防止条約」のきっかけとなったのであった。この後に乗客用フェリーのシティーオブポロス号が1988年7月11日にテロリストによってギリシャの領海で襲われている。 金銭略奪だけを目的とする犯罪と比べて、テロリストによる襲撃への反応は、今後狙われるかも知れない船舶からも、法執行機関からも非常に大きい。この様に大きい反応がテロリストによる襲撃が繰り返されないと保証するのに効果があるか、あるいはテロリストによる襲撃というのは不規則に起きるものであるとするかには議論の余地がある。しかし、どちらにしてもテロリストによる襲撃はどんな基準をもってしても許せないと言う事実は世界中の人が認める事である。

 

1994年には中国近海の襲撃にこれまでとは違う新しい傾向がみられた。軍服を着た賊が乗り込んだ船が通過する船舶を遮ったり、発砲したりするやり方であった。こうした襲撃が新し

 

 

 

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