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資源循環型社会実現のためのアジアの拠点を目指して

〜北九州市の環境保全に向けた新たな取組〜

 

北九州市企画政策室事業調整担当課長

水谷 朋之

 

は じ め に 〜北九州市の歴史的沿革と環境保全のための総論

北九州市は、昭和38年に、門司・小倉・八幡・若松・戸畑の五つの市が対等合併してできた日本で6番目の(横浜・名古屋・京都・大阪・神戸に次ぐ。)政令指定都市であり、きわめて歴史の新しい都市である。しかしながら、本市の過去を振り返る際には、旧五市の歴史を無視することはできない。

ここでは、本レポートの主たる部分ではないので簡単に記述するに止めるが、現在の北九州市の市域の発展は、一つには明治時代(1901年)の官営八幡製鉄所の建設に起源を有する。そして、大正時代〜昭和40・50年代まで鉄鋼業や石炭産業を中心とした重厚長大な素材型産業により、「北九州工業地帯」として永らく四大工業地帯の一角として繁栄してきたのである。

工業都市としての発展の反面、発展すればするほど、住民の生活環境という観点からは様々な問題を引き起こしてきた。その代表例が、「七色の煙」と形容された大気汚染の問題であり、また、魚一匹住まないといわれた洞海湾の水質汚濁の問題である。

このような「公害」との戦いが市における重要な課題であった時代が長い間続き、早くから公害防止や環境改善のための取組がなされてきた。昭和47年度の「北九州地域公害防止計画」の策定以来、延長されている公害防止計画や、また、環境アセスメントの実施や環境管理計画の策定など環境問題に対しては、細やかな対応を行い続けてきた。これらの先人の取組のおかげで、工場から排出される煤煙や排水は、官民一体となった努力により大幅に改善され、現在では全国の中でも最も住みやすい町の1つとなっている。

以上のような歴史を踏まえているため、北九州市においては住民・行政・企業のいずれもが環境に対して非常に高い関心を持ち、「公害克服」という過去の体験を非常に鮮烈な記憶として有している。それが端的に現れているのが、現在北九州市における環境保全対策の基本的な考え方となっている「アジェンダ21北九州」である。すなわち、1992年6月、ブラジル・リオディジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議(地球サミット)」において、地球環境を保全しつつ持続可能な開発を実現するための行動計画「アジェンダ21」が採択された。

これを受けて本市では、ローカルアジェンダとして「アジェンダ21北九州」を策定し、各分野の垣根を越え、市民、事業者、行政が一体となって都市や市民生活

 

 

 

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