日本財団 図書館


だから頭でっかちの「地方分権」という言葉を実際に自分の肉体に、手とか足にどういう形で表現していくか。そういうことをやっぱり考えていかないと、地方分権は元も子も無いんじゃないか、というふうな感じがしています。そういう意味では、漢字というのは魔物なんです。私たちマスメデイアにもこの何年来、「地方分権」という言葉、あるいは「行政改革」、「規制緩和」、もうさんざん踊っています。私もほとんど耳ダコのようになって分かったつもりになっているけれど、そのどれもが実は現実に具体化していくのは大変難しいことじゃないかと思います。先ほど知事さんもバラ色の道であり、イバラの道であるというふうにおっしゃいました。私も同感で、「言うは易し、行うは難し」というか、大変難しいことじゃないか、それは政治に関わる方たちだけではなくて、実は私たち市民あるいは生活者と言ったらいいんでしょうか、ここに暮らしている私たち一人ひとりの問題になってくるんじゃないだろうか、というふうに思っております。

 

「自立」のための三つの条件

 

地方分権というのはこれまで皆さん繰り返しおっしゃっていることですから、私が言うまでもないんですが、中央集権的な、言ってみれば東京一極集中的な形で価値観が決められた生活から脱却して、それぞれの地方の自治、地方がそれぞれに自立しようということなんですよね。自立という言葉は、この20年ぐらいは女の人が盛んに使ってきました。男の人が本当に自立していたかどうかは樋口恵子さんなどから言わせれば、ぜんぜん自立していないってことになるんですが、男の人がそういう言葉を使わなかったということは、おそらく男の人はよくも悪くもそれなりに自分のポジションなり、それなりの生き方なりを持っていたということでしょうか。少なくとも持っていたと思ってきた。それに対して、女がこの20年来、女の自立、女の自立とずっと叫んできましたね。この地方分権という言葉を非常に身近な問題に引き寄せて考えた時に、例えば女の自立ということになぞらえられるかな、という気がします。女が自立する時に、じゃあ何が必要なんだろう。一つには、経済的に自分の足で立っていけるか、ということが大前提になるわけです。まず、経済的にどれだけ自分が独立できるか、自立できるかが大きなテーマになってきます。それから次には、精神的な自立です。物事を自分で判断して、自分で決めていくことができるだろうか。これがなければ、いくらお金を持ったって、決定を人に預けていたのでは、自立とは言えないのではないか。自分自身の生き方なり、そういうことに関しての責任と判断力・決断力みたいなものを持たなければ、到底自立ということはできない。この二つが核になるわけですが、もう一つは、お金を稼ぐため、あるいは精神的に自分自身が決断して生きていくための、具体的な方法です。自分自身のオリジナルな方法を持っているかどうか、ということが三つ目に求められるという気がするんです。個人レベルで言える、そうしたことが、もしかするとそれぞれの地域々々の自立ということとも重なってくるんじゃないかと、そんな気がいたします。

 

補助金と自立

 

では、この三つに関して、分権を盛んに主張している地方、地域と言ってもいいのですが、それぞれの地方がこの三つを実現できているのか、あるいは実現する用意があるんだろうかということを私なりに考えてみたんですね。まず第一に、経済的な問題、これは一番難しい問題で、一つには、税制の問題があります。この税制の仕組みを大きく変えるということは、やはり政治的な判断で、大きな運動としてやっていくものだろうと思いますし、それを皆さんが望むか望まないかという問題もあるわけです。国税と地方税のバランスの問題とか、そういう政治的な税制のシステムをどういうふうに考えるかという、大変大きな課題があるわけです。それと同時に、自分たちの中でどれだけ自立した財源を作り出していけるかということが、また問題になってくるわけです。私はいつも不思議に思うんですけれども、今、地方分権という言葉は、おそらく日本国中で反対する人を探すのは難しい、ほとんどの方たちが賛成していらっしゃるんじゃないかと思うんです。ところが、それをおっしゃっている同じ人たちが、今も相変わらず補助金を求めて霞ケ関に日参している、という現実がある。それを私は、すぐにダメだなんていうつもりはもちろんありませんし、それが現実というものだろうとも思うんですが、そこの矛盾をどう乗り越えていくかということは、とっても大きなことなんだろうと思うんですね。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION