日本財団 図書館


イはある。あるけれども,そのパイは我々のために特権的に約束されているわけではない。これを食べられるかどうかはこれからの努力でできるのだということと思います。

○小 山  ちょっと一言。パイというのは何人かで分けるから寂しくなるわけで,私が言いたかったのは,一つ考えておかなければいけないのは,非常に立派なパイが一個あるのですね。分け合う人間がだんだん少なくなってきているので,1人分の取り分はこれからどんどん大きくなるのですね,コンベンショナルな船だけやっていてもね。それで,数学的極限で,分母がゼロになったらどうなるかと。そのときは日本の造船業は明らかに滅亡するわけであります。そのこと一つとっても,発展志向とか何とかいうことについて,私たちは少し注意をしながら物を考えないといけないのではないか。身近な造船業の話で言いますと,90年からこちら,ほかの産業に比べて雇用の吸収が極めて順調にいっているのですね。その比率を仮に保てたにしても,2005年までには今の生産水準を維持するために生産性を2倍にしないといけない。こういう非常に冷厳な現実があります。これに成功できるかどうかというのはかなり大きな問題だと思いますから,大坪流の70年,80年型の右肩上がり志向だけで物を考えると議論がちょっとおかしくなる可能性があるということを一言申し上げておきます。

○大 坪  ちょっと私はそれに対しては疑問があるのですけれど,ここで余りそういう話をしてもしようがないかもしれません。

017-1.gif

○宮 崎(三菱重工) 今の,技術が社会を変えるというキャッチフレーズ,私もこれは非常に良いキャッチフレーズだと思っております。もちろんケースによって色んなことがあると思います。

きょう小寺山先生が最後に,海洋には色んなニーズがあって,技術も必要だと,しかし,それは特権的に与えられるのではないと言われたのですが,私は非常にうれしく,かつ非常に適切なお話であったと思います。

それで,今の日本の造船業の姿勢ですと,特権的どころかよその国にみんな持っていかれて,日本の造船業にはそういう今隠れているニーズは回ってこないのではないかと,むしろ私はそれを心配しているわけであります。といいますのは,私が若いころ,会社に入りましてから10〜15年のころ,ちょうどVLCCが勃興してまいりまして,やがてULCCがという,オイルショックの前でありました。あの頃,私たちはグループを挙げて情報の収集に血眼になっておりました。機会があったらヨーロッパへ行く。あるいはアメリカへ行って,メジャー・オイルの関係部門を歩き回って知り合いと色んなディスカッションをするということで,大体彼らは何を考え,そしていつごろから実際のケープ回りの輸送が始まるであろうか,そのときの船型は一体どれくらいになるんだというふうなことを,我々なりに技術で社会を変えるために検討していました。そのベースとしての情報というのはたなごころを指すように掴んでいたような気がいたします。

しかしながら,今は業界にそれだけの余裕がなく,大体そういうものはほとんど引き合いという形での受け身でしかやらない。この延長線上で行くと,造船業には発展がないなという感じがしております。例えば,私が現役の頃,90年ですか,フランスのCCMの会長にごあいさつに行きました。そうしましたら,彼は,ミスター宮崎,95年だよと言われました。95年というのは何ですかと聞いたら,コンテナが大型化する。5年前に的確に95年だよと,ヨーロッパのオーナーは確実にそう考えておりました。最大8,000個までいくかな,ちょっと無理かなと,そういうようなお話がありました。彼らはそれくらいの情報と見通しを持って商売しているわけで,日本の船主さんだって同じことです。日本造船業もそれに対応してお客のニーズを逆に引っ張り出すような,そういう情報を持っていなかったら事業としての発展はないんだと。そういうことを痛感しております。

○大 坪  どうもありがとうございました。情報を掴み,先取りをしてプランニングをし,それを実現化の方向に持っていく。そういう仕組みが日本には足りないという話は先ほども出ていました。

 

顧客志向

017-2.gif

○小林(IHI) 何か世の中の本当のニーズの変化というのを我々は把握し切れていないのではないか。過去においてタンカーやコンテナ船が出てきたときには,ニーズというのはそんなに顕在化されないのに,だれかが先見の明を持って把握していたのですよね。既に見えてしまったもののほかに,

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION